コロナ以降、開店時間を30分はやめ、閉店は8時や9時に縮めた。1度目の緊急事態宣言時には完全に閉めた。常連客は高齢者が多く、感染すれば重症化する割合が高いと耳にしたからである。ただ、転んでもただでは起きない。休業中は「レバ燻製(くんせい)」「もつ煮」といった、テイクアウト限定メニューをつくったりもした。

 再開した店は、入り口は全開にして換気よし。寒さは我慢してもらう。店は「堅牢(けんろう)な日常」を支える、「軽く一杯」の駅前店であり続けている。

 2021年夏。すったもんだしたオリンピック、無観客として開かれたが、あまり意気上がらぬ五輪として終わった。本書には、パラリンピックにかかわった人々が登場し、趣深き話も伝えている。

 総体として、「国家の物語」としてのオリンピックは終わったという一文が見えるが、評者も同感である。

 国ごとのメダル数に一喜一憂する人などもうおるまい。詰まるところオリンピックとは国際運動会なのであって、それ以上のものではない。近年、過度の商業主義が、大会の空虚さを増幅させているが、2度目の東京もその流れの中にあったのだろう。コロナがあろうとなかろうと。

 本書では著名なミュージシャンも登場はするが、多くは無名の、拠るべなき存在としての人々である。この先も確かなものは多分ない。そのことをコロナは念を押すように教えてくれたが、ふと立ち止まり、新たな人生を歩きはじめた人もいる。禍(わざわい)もまた契機となり得る。弱きものはしたたかでもある。著者のやわらかい感性が、多様多彩な東京のいまを十全にすくい取っている。

週刊朝日  2022年4月1日号