ザコシショウはもともと、NSC出身。陣内智則、中川家、ケンドーコバヤシ、たむらけんじらが同期だ。今も第一線で活躍する売れっ子芸人たちと肩を並べ、吉本興業所属の芸人としてデビューした。

「当時はG★MENSというお笑いコンビで人気を博していましたが、彼らが所属していた心斎橋筋2丁目劇場の閉館に伴い、まさかのリストラ。コンビとして人気も実力もあっただけに、当時、このリストラは結構話題となりました。それを機に吉本興業を辞めて上京しますが、2002年に相方が芸人を廃業したため、ピン芸人になったのです。それからSMAに所属するのですが、なかなか芸人だけでは生活していけず、SMAの劇場に2年ほど住んでいたそうです。その後、ネタ番組『あらびき団』が始まると徐々に頭角を現し、“キング・オブ・あらびき”とまで呼ばれるようになりましたが、2016年の『R-1』で優勝してブレーク。芸歴24年目にしてやっとチャンスをつかんだ苦労人なのです。R-1優勝後に3LDKの中古マンションを購入し、一昨年には地下スタジオ付きの一軒家を建てるまでになった。吉本をクビになった男が裸一貫でネタをやり続け、ここまで成功したということで、芸人の間では本当に尊敬されている存在です」(同)

■錦鯉へのアドバイスが効いてM-1優勝?

 バイきんぐや錦鯉など賞レースで頂点に立ったSMA所属のコンビは、ザコシショウの「ハリウッド軍団」の“構成員”だ。民放バラエティーディレクターはこう語る。

「吉本以外で、SMAだけが主要な賞レースの三冠を取っているのは特筆すべきこと。SMAは今や“芸人再生工場”と呼ばれるようになりましたが、その最大の功労者がザコシさん。彼の芸風からは想像がつかないかもしれませんが、舞台を降りれば理知的で、芸事にも熱く、妥協を許さない。そうした思想は『ハリウッド軍団』にも浸透し、他事務所の芸人もザコシさんを慕って集まっている状態です。一緒にお笑いライブを開いて研鑽を積み、メンバーたちはザコシさんの的確なアドバイスを参考にしている。M-1を取った錦鯉は『(ボケの)雅紀はバカなんだから、バカを押し出していけ』とザコシさんからアドバイスされたことで、冒頭のあいさつギャグ『こんにちはー!』が生まれたり、今のバカ全開のネタに振り切れたと語っていました」

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芸人として並外れた「胆力」