――失敗すれば大けがを負うリスクも高く、最初に練習で成功したときには「足が震えていた」と語るほど難しい技だ。挑戦していた選手はほかにもいたが、昨年12月の国際大会で平野が世界で初めて成功させた。
平野:たとえ失敗しても、オリンピックまで全部の大会でチャレンジしようと思って、最初の大会から出しました。いい状況だけじゃなくて悪い状況でやることも大事。1回もルーティンとしては成功しなかったけど、あのチャレンジがオリンピックでの成功につながったと思う。
――桁違いの練習量で、体に感覚を覚え込ませてきた。
平野:疲れたときも、僕の場合は休まない。そういう意味では結構しつこいというか、あえていつも通りのルーティンを崩さないようにしています。ベッドに入るまではひたすら「オン」みたいな感じですね。
――世界を転戦する遠征中の食事は、基本的に自炊だという。
平野:食事は完全自己流ですね。僕の場合はこれを食べるとか、これがどのくらいのカロリーなのかとかはまったく気にしていなくて、食べる内容よりも食べる量を気にしています。食べ過ぎると体が重くなりすぎていいことはないのと、おなかがいっぱいになるとやる気なくなるんですよね(笑)。食べる前とコンディションが変わるのもいやだなと思っていて。
■行けるところまで行く
――夢に向かって歩むと書いて「歩夢」。名を体現するかのように、一歩一歩努力を積み重ね、夢をかなえた。
平野:自分が生まれ育ったのは、新潟の端にある小さい町で、競技環境も整っていない中でゼロからのスタートだったけど、19年かけてその夢をかなえることができた。夢があるだけで、目標を持つことができ、自分を成長させることができる。年齢関係なく、夢は大切だと僕は思うし、自分の滑りが少しでもみんなの刺激になったら、それ以上のことはありません。
――次の夢は何か。
平野:スケートボードはまだわからないですけど、スノーボードは変わらず次を目指して、行けるところまで行きたい。ただ、次のオリンピックまで同じ4年間にするつもりはなくて、スノーボードやスケートボード以外でも挑戦したいと思っています。
――4年後は弟・海祝(かいしゅう)との表彰台も見られるのか。
平野:いや~、海祝次第ですね(笑)。海祝を鍛え上げます。
(構成/編集部・深澤友紀)
※AERA 2022年4月4日号