イタリア旅行、男をおじちゃんと呼んで慕う息子と3人で迎えるパリのクリスマス、ダイヤモンドの指輪を贈られた地中海クルーズ。失われた20年とも30年とも呼ばれるようになる時代に、こんなきらびやかなカップルがいたとは。

 2013年冬のパリ。女は胸に秘めてきたことをさりげなく切り出す。「もう近江屋の嫁をやめてもいいかなって」。男は好物の生牡蠣をすすりながら言う。「僕、死んじゃうよ」。離婚してくれとも結婚しようとも口にしてこなかった男が短い言葉で真情を吐露した。女は涙が止まらなくなる。日記に書いた。「全てを捨てても、全てを敵にしてでも決断せねば」。

 帰国した12月に離婚届を提出、しかし神様はどれだけ気まぐれなのだろう、1カ月後の年明け、田原氏の肺に悪性腫瘍が見つかる。陽子線治療、癌細胞消滅、そして再発。この間田原博子氏は“戦う女”だった。情報収集、自宅での医療補助行為、治療をめぐる医師とのバトル。受難とは厄災のことではなく、不安や恐怖にくずおれない鋼の精神のことかもしれないと、今になって思う。

 私ほど愛された女はいない、私達ほど愛し合った男と女はいない。こんなことを言える女性が、世の中にどれだけいるだろう。「恋の庶民」を自称する著者は、彼らのことを「恋の貴族」と呼ぶ。

 愛も恋もセックスもリスクに分類される時代。私は恋とは愚行権の行使ではないかと思う。愚かだと上から目線で言うのではない。愛を見捨てない、愛のためなら何も恐れない。そんな一途な愚かしさを生きた者こそ、パッションに祝福された選民なのだと思う。

週刊朝日  2022年4月15日号