このように子供はフィクションの世界で生きていました。フィクションが失くなると芸術魂も同時に消滅してしまいます。芸術が理解できない人は心の中のフィクションを追い出して、心の中を現実一色にしてしまっている人です。僕は今でも子供の本を読みます。子供でいることは健康でいることではないでしょうか。自らの中の子供と一緒に生きている人は長生きするはずです。延命のためにジョギングをしたり、アスレチックをしたり、ジムに通い、サプリメントを飲むのもいいでしょうが、そんな面倒臭いことなどしなくても、自分の中の子供と戯れていればそれで充分長生きです。脳死が人間の死なのかなんだか知りませんが、自分の中の子供性が失くなった時が人間の死だと考えたらどうでしょうか。と考えると生きているけれども死んでいる人が世の中に沢山いるんじゃないでしょうか。
先週号で嵐山光三郎さんが僕の小説『原郷の森』について触れて下さいました。美術家の書く小説だから、別に小説家に挑戦したわけではありません。できるだけ子供っぽい書き方は何んだろうと思いついた結果、そうだ! 子供は話し好きなので全篇会話にしちゃおう。そして難しいことや理屈っぽい話は大人の登場人物にしゃべらせよう。その話を聞いているのか、聞いていないのかわからない人物を作者の僕にしちゃえ、と思って書いた小説です。そういう意味ではこの小説は子供が空想する虚構と現実の話です。会話をする人物は全員がこの世の人ではなく、すでに死んだ有名人ばかりです。死んだ人間は生前の柵(しがらみ)から解放されて好き勝手なことを言います。死んだ途端に子供に帰るんでしょうかね。本当に自由です。彼らの話を聞いている僕に次々おせっかいをやいたり、説教をしてみたり、アホ、バカ、マヌケとか言って好き放題です。死んで子供に帰ったんでしょうかね。
そしてこの本についての嵐山さんの感想がまた子供っぽくて、500ページの本を最初から、説明されます。大人はこんなことはしません。嵐山さんの中の子供性が語らせた文です。その文を読んでこんなに面白い本があるなら僕もぜひ読んでみたいと思ったくらいです。
横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰
※週刊朝日 2022年4月15日号