「母親たちがチェチェンで行方不明になった息子たちを捜すだけでなく、前線に出向いて、捕虜になった徴集兵を救い出すようなことまでやったんです。政権を激しく批判して、当時の首相に面会して戦争終結を訴えた。厭戦ムードも高まった。その記憶がプーチンにはあると思います」

 この第1次チェチェン紛争の際、政府に厳しく迫ったのは、89年に設立された「ロシア兵士の母親委員会(現ロシア兵士の母親委員会連合:CSMR)」だった。

「文字どおり、自分たちの子どもである兵士の権利を守る目的で設立されたNGOです。反戦団体ではなく、徴兵制度の枠組みの中で、軍隊内で新兵いじめや虐待などの人権侵害が行われていないか、見張っています。法律顧問団も備えた強力な組織です」

■死にゆく徴集兵たち

 同様の組織は他にもあり、「兵士の母親の委員会(AKSM)」のホームページには今回のウクライナ侵攻に関する情報がいくつも掲載されている。

 例えば、侵攻直前の2月20日付のニュースには、ウクライナ北東部の都市ハリキウ(ハリコフ)に近い、ロシアの村ドルビノからAKSMに通報があったと書かれている。記事によると、100人以上の契約兵と徴集兵が水や食料も与えられないまま駅舎に5日間もとどまっているという。記事につけられた写真には、駅舎に詰め込まれた兵士たちの無残な姿を「缶詰のニシンのように」と記している。

 さらに、開戦から2週間後の3月9日の記事には、こうも報じられている。

<AKSMのホットラインには、ウクライナの特殊軍事作戦に息子が参加していることについて、徴集兵の親から繰り返し心配する訴えが寄せられ、現在も続いています。私たちは軍のさまざまな監督機関に訴えましたが、なぜか迅速に対応する必要があると思われていないようです。そうしているうちに徴集兵はどんどん死んでいきました>

 同じ日、徴集兵がウクライナ侵攻に参加しており、そのうち一部がウクライナ軍の捕虜になったことをロシア国防省は認めた。前日の国際女性デーでプーチン大統領は、戦闘に参加しているのは「契約兵」のみと断言していたにもかかわらず、だ。

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母親たちの「疑念」は晴れない