芸人、俳優、ミュージシャンとマルチな才能で知られるマキタスポーツさんが、初の小説『雌伏三十年』を出版。高校の同窓生でもある作家・林真理子さんとの対談では、マリコさんの実家の話や役者の話で盛り上がりました。
【又吉直樹より先だった? “初小説”のマキタスポーツがガッカリしたワケ】より続く
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林:私、15(歳)ぐらい上だから、マキタさんのころはもうみんな東京の大学に行ってたでしょう?
マキタ:どのぐらいの比率だったんだろう。東京の大学に行ったけど、就職は山梨でしたり、何年か東京で働いたら山梨に戻ってくるという人、けっこう多かったみたいですけどね。
林:でも、マキタさんは東京で配達のバイトをしながら音楽を聴いてライブにも行ったりして、「絶対何者かになるぞ」と思って充実してたんですよね。
マキタ:林先輩は家が本屋さんをやってらしたから、幼いころから本に触れる機会があって、リテラシーがすごく高い人だったと思うんですけど、僕の場合は高校を卒業するまでに読んだ本が「一休さん」ぐらいしかなかったんです。
林:ちょっとォ(笑)。それがなんで本に興味を持つようになったんですか。
マキタ:古本屋ですね。東京の大学に入って引きこもりになって、友達もいないし、「5月病」になっちゃって、「東京、キライ」ってなったときに、古本屋に行くしかなかったんですね。難しい本は読まずに、林先輩とか泉麻人さんのコラムとかエッセーとかを手に取って読み始めたら、これはおもしろいと思えたんです。そのあとサブカルチャーの雑誌とかに興味を持って、ナンシー関さんのコラムもおもしろいなと思いながら読み始めたという感じですね。
林:「俺だってチャンスがあればこれぐらいのもの書ける」って当然思った?
マキタ:思いました。どこかで俺を発見してくれないかなって思って、誰も読むあてがないのに文章を書いてましたね。
林:それは素晴らしいですね。
マキタ:何か接点を持つべく行動を起こせばよかったんですけど、僕はその当時、おもに新宿歌舞伎町の夜のバイトをして、ズブズブの水商売の生活をしてたんです。それで、そっちの生活になじみすぎちゃって。
林:すごくモテたんですね。この本にもいっぱい女性が出てきますけど。