落語家・春風亭一之輔氏が週刊朝日で連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今週のお題は「人見知り」。
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マスク生活に入り長くなりましたが、口元を隠してるだけでちょっと気が大きくなることはないですか? 今までは電車の中で「あー、綺麗な人だなぁ」と思っても「こっち見てる……キモ」という相手の反応が怖くてすぐに目を逸らしていたのに、マスクという口元のワンクッションがあるだけで、案外平気でジーッと見てしまいます。目は「丸腰」なのにね。とてもキモいですね。これもみんなコロナのせいです。
そもそも『人見知り』ってのは生後6カ月からの赤ちゃんの成長に使う言葉なんだそうです。見覚えのない人と目が合うと泣いたりしますわな。そんな『人見知り』を大人に対して使ったり、自称するのもなんだかなぁ、ですね。そうそう、4月に入りようやく「赤ちゃんの季節」がやってきました。暖かくなり街ゆく赤ちゃんが急増中。私は街で遭遇する赤ちゃんが好きです。ササクレだった心を突然、癒やしてくれる「こころの給水所」。それが赤ちゃん。
最近よく見かけるのは、親と赤ちゃんが向かい合わせではなく、赤ちゃんを外向きに「磔の刑」の如くブラーンとさせる抱っこ紐。アレ、いい。親がスマホなんかいじってる日にゃ、誰に邪魔されることもなくマンツーアカチャンで愛でることが出来るのです。特に暖かくなり始めのこの時期、赤ちゃんは靴下を嫌がります。電車の向かいの席で足をジタバタさせている赤ちゃん。そのうちに靴下がずり落ちてきて、ワクワクしながら凝視している私と目が合う赤ちゃん。「へんなヤツが見てる!」と親に訴えますが、親は気づかずスマホ片手にお腹をトントンするのみ。「そうだ、靴下だった!」と我に返り、またジタバタする赤ちゃん。そうこうするうちに、靴下が片方だけ脱げ落ちて「ハッ!(喜)」という顔をする赤ちゃん。
私はその一部始終を見つめ続けます。眼差しで「どうするんだよ、その靴下?」と赤ちゃんに問えば「……よかったら、拾っていただけませんか?」という困り顔。私はじらすように文庫本を開き目を落とします。「そりゃあないよ! 見てたくせに!」とぐずり始めるアイツ。「あら、どうしたの?」と急に親はあやし始めますが、靴下が片っぽないことには気が付きません。泣いてる理由を知ってるのは私だけ……ふふ。