復帰五十年、本土から言えば沖縄返還五十年。
沖縄は豊かになったけれど相対的には本土より貧しい。米軍統治は製造業を育てなかった。基地依存は減ったが今も観光業などが主軸なのはそのためだ。
基地は減らない。復帰の時に言われたことは嘘ばかりだった。それは今も続いていて中央政府は欺瞞と強権に終始し、高裁以上の裁判所は沖縄の言い分をまったく聞かない。日本国憲法の上位に日米安保条約があるのだからそうせざるを得ないのだろう。
本土の世論はよくて無関心。時には「土人」という言葉も出る。かつては沖縄事情を理解する政治家が中央にもいたが今は皆無。知事と首相の会見さえむずかしい。
どう見ても無理筋の辺野古埋め立ては強引に進める。コップ一杯のマヨネーズに箸が立つか否かやってみればいい。官僚の誰にも「止めよう」という勇気がない。次に申し送って逃げる。
だから、沖縄は憂鬱なのだ。(寄稿)
※AERA 2022年5月16日号