基地の整理縮小や日米地位協定の見直しを求める県民総決起大会/1995年
基地の整理縮小や日米地位協定の見直しを求める県民総決起大会/1995年
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 5月15日、沖縄が日本に復帰して50年を迎える。しかし沖縄県民の「基地のない平和な沖縄」はいまだ実現しない。これからの沖縄について専修大学文学部ジャーナリズム学科教授の山田健太さんに聞いた。AERA 2022年5月16日号の記事を紹介する。

【専修大学文学部ジャーナリズム学科教授の山田健太さんはこちら】

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 復帰50年に合わせ、新聞・テレビのみならずSNSも含め多くのメディアで一気に琉球・沖縄関連の情報量が増えている。新聞・放送の両博物館でも特別展が開催中だ。それらでも共通する節目報道の視点は、過去を振り返るとともに現在を検証するスタイルだ。しかし本土メディアの場合、その対象はどうしても米軍あるいは日米関係に向きがちであるといえよう。

 もちろん、辺野古新基地建設の問題にせよ、住民を苦しめ続ける有機フッ素化合物による水汚染問題でも、米軍基地があるからこその問題であり、憲法より上位にある日米地位協定の存在があることには間違いはない。一方でいま、沖縄が直面する問題は「基地」に係る話題ではあるものの、自衛隊の南西シフトによって、あえていえば戦前のような列島全体の軍事要塞化が進んでいることでもある。

 米軍基地も、四半世紀にわたる米軍施政下の間に進んだ沖縄集中の歪みの結果であることからすれば、根っこには同じ問題があるわけだが、国土防衛のために沖縄に犠牲を強いる構図そのものが、沖縄が日本に「復帰」したがための宿命なのかを本土メディアがどこまで我がこととして問いえているだろうか。その微妙で決定的な違いが、沖縄の問題を「東京からみた政治」ではなく「そこに住んでいる県民」の視線でみることができるかではないか。

 それは、戦後の在京紙と地元紙の報道の違いそのものである。本土側からみると、屈辱から返還までの施政下の時代が「無理解」、米兵少女暴行事件や沖縄国際大学ヘリ墜落事件があっても大きな扱いにはならなかった「軽視・無視」、教科書検定、そして辺野古移設と沖縄問題が中央政治の問題として大きく扱われるようになった「政治」、翁長県政誕生以降の「対立」の、四つの時代に大きく分類することができる。

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