ジャーナリストの田原総一朗氏は、本土復帰から50年経った今も解決されない沖縄基地問題について問いかける。
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沖縄が日本に復帰してから、今年の5月15日で50年を迎えた。
太平洋戦争の末期に、沖縄では住民9万4千人を含む18万8千人が犠牲になり、戦後も米軍による直接統治が続いた。
日本に復帰したのは1972年5月15日だが、沖縄の問題は、現在に至るまでほとんど減少していない。
沖縄が日本に復帰したとき、沖縄県民の願いは、何よりも米軍基地を「本土並み」に減らすことであった。しかし、国土面積の0.6%しかない沖縄に、現在でも何と米軍の専用施設の7割が集まるという異例な姿のままである。
そして、「世界一危険な飛行場」と言われる宜野湾市の普天間飛行場の返還が26年前に米国との合意によって決まったのだが、何と移設先は名護市の辺野古になった。
もちろん、沖縄県民の大部分は大反対である。そこで、2009年、民主党内閣初代首相の鳩山由紀夫氏(当時)は、「最低でも県外に移設する」と宣言した。沖縄県民の強い要望に応えようとしたのである。
だが、鳩山氏は日米地位協定を詳しく知らなかったようだ。
日米地位協定とは、言ってみれば米国の占領政策の延長のような代物である。
その日米地位協定では、日米合同委員会なるものが制定されていて、その合同委員会で決まった事柄は首相といえども否定できない。そして、合同委員会は当然ながら、在日米軍が主導することになっていて、その合同委員会で米側が、普天間飛行場の移設先を辺野古と決めているのである。
外務省や防衛省の幹部たちは、鳩山氏にそう説明した。すると、鳩山氏はそのことに抗することなく首相を辞任してしまった。
ところで、18年に当時の首相であった安倍晋三氏が、憲法を改正したいと主張し始めた。
私は安倍首相に、いったいどの国会議員をその責任者にしたのかを問うた。そして、国会議員の名前を聞き出すと、その議員にその決意があるのか、議員生命をかける覚悟があるのか、と疑問をぶつけたが、安倍首相は本人に直接確かめてほしいと求めた。