31歳で晴れて映画監督になったとき、阪本さんを、新たな“背筋がゾッとする体験”が襲ったことがある。
「『どついたるねん』を作るまでは、ものを作れば批評されるということをわかっていなかった。監督として、映画にエンドマークを付けられたことは、相当な満足度だったんですが、それが批判されると、いちいち傷ついてしまって……(苦笑)。何年か後に、『阪本はもうダメだ』と書かれたときは、その評論家を駅のホームから突き落としたる、と思ったこともあります。でも、しょせんは商売人の子、実際にその評論家に駅のホームで会ったときは、『おはようございます!』と自分から挨拶しに行っていました(笑)」
>>【前編】「映画監督に必ずなる」 17歳の阪本順治を決意させたゾッとした体験
(菊地陽子、構成/長沢明)
※週刊朝日 2022年6月3日号より抜粋