ロシア軍が攻勢をかけるウクライナ東部の都市リシチャンスクでは、学校も破壊された(写真:Los Angeles Times/Getty Images)
ロシア軍が攻勢をかけるウクライナ東部の都市リシチャンスクでは、学校も破壊された(写真:Los Angeles Times/Getty Images)

 プーチン氏にとっては、ソ連崩壊への号砲となったロシアの日の6月12日よりも、ピョートル大帝の誕生日である6月9日の方がよほど重要な日付なのだ。今年は生誕350年という節目の年なのだから、なおさらだ。

 プーチン氏が、自らをピョートル大帝と露骨に重ね合わせたのは、まさにその6月9日のことだった。プーチン氏は、若手の起業家や科学者との対話集会で、ピョートル大帝がスウェーデンと戦って領土を大きく広げた大北方戦争の歴史を取り上げた。

「彼がスウェーデンから何かを奪ったように見えるかもしれない。しかし、何も奪ってはいない。取り戻しただけなのだ! 彼がやったことは、取り戻したうえで、それをしっかり確保したということだ」

 その上でプーチン氏は話を現代に引き戻した。

「どうやら我々も、取り戻して確保する巡り合わせにあるようだ。そうした基本的な価値観が我々の存在を支えていることを前提に進めば、直面する課題を必ず解決できるだろう」

真の目的は領土拡張

 自分はピョートル大帝と同じ歴史的使命を帯びている、というわけだ。これは、ウクライナで自らが進めている「特別軍事作戦」の真の目的が、領土拡張にあることを自白したにも等しい発言だった。

 2月の開戦時の「私たちの計画にウクライナ領土の占領は入っていない」というプーチン氏の説明はまやかしに過ぎなかった。版図を拡大し、占領地の「ロシア化」を進め、強大なロシアを復興させた指導者として歴史に名を残すことを、プーチン氏は目指している。

 ロシアの日の演説を踏まえると、プーチン氏はウクライナでの戦いがいかに困難であっても「恐れを知らぬ姿勢と粘り強さ」で最後まで貫徹する覚悟なのだ。いつかロシアで「ウラジーミル大帝」と呼ばれるという夢想にとりつかれているのかもしれない。

 実はプーチン氏は、若いころからピョートル大帝を崇拝していた。

 サンクトペテルブルク副市長だった1990年代半ば、自らの執務室にピョートル大帝の肖像を飾っていた。当時の多くの官僚がエリツィン大統領の写真を掲げる中、プーチン氏が選んだ肖像は、訪れた人たちに強い印象を残した。

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