「池島さんの提案をお断りするのはできません。池島さんの顔をたてて、受けますが、落ちるつもりでした」
入社試験での面接の際、好きな菊池の作品は何かと問われた。
「私は祖父の作品をよく読んでいました。そこで、『笑ひ』ですと答えました」
この物語は下級武士が手柄をあげ、殿様から直接お褒めの言葉を頂くことに。しかし、お城で殿様にお目通りする際、持病の顔面神経麻痺で笑ったように見えてしまったためお手打ちにあってしまうという理不尽な話である。
王道の作品ではない上に、不条理な結末を迎える「笑ひ」と答えた夏樹さんに対して池島社長は、
「『菊池君は皮肉屋だね』と言いました。これで試験に落ちたと思ったんです。でも、家に帰ると採用するとの電話がありました。そうなると入社しないわけにはいかないんですね」
以来、営業管理という倉庫番にはじまり、広告、オール讀物、新雑誌の編集部などで仕事をした。
「ただ、同族会社になるのはよくないし、祖父も望んでいないだろうから、経営には携わりませんでした」
夏樹さんは現在、高松市菊池寛記念館の名誉館長を務めている。名誉館長の職を父英樹さんから引き継いだこともあり、菊池寛のことをもっと知っておくべきだと考え調べていくと思わぬ発見をした。
それは菊池の先祖である高松藩の儒学者・菊池五山(ござん)という人物である。五山は文学(漢詩)について語り合うサロンや雑誌を作り、ジャーナリズムを生み出した。これは菊池がやったことと同じである。そしてこれは夏樹さんにもつながる。
「祖父は五山のことを意識していたかどうかわかりませんが、同じ思考をしていたのですね。そういう私も文藝春秋に勤務し、今は記念館でサロンのようなことをしています。つまり、人が楽しそうな様子を見るのが好きなのです。血筋なのかもしれません」
夏樹さんは菊池寛のことをもっと知ってもらい、もっと読んで楽しんでほしいと強調する。それが孫としての使命でもあるという。
菊池寛の言葉には文学に関してこうある。
「純文学でも大衆文学でも、人にたくさん読まれるのが、かんじんである。読まれない文芸などは、純文学だろうが何だろうが、結局飛べない飛行機と同じものである」
(本誌・鮎川哲也)
※週刊朝日 2022年7月22日号