撮影:石川武志
撮影:石川武志

 写真家・石川武志さんの作品展「CALCUTTA」が9月27日から東京・新宿御苑前のPlace Mで開催される。石川さんに聞いた。

【石川武志さんの作品はこちら】

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 路上で食べ、排せつして、眠る。

 かつて、カルカッタは貧困と疫病がはびこる都市といわれ、街全体がスラムのようだった。 作品に写るのはインド北東部、バングラデシュの西に位置するコルカタで、石川さんが撮影を始めた40年ほど前はカルカッタと呼ばれていた。

 カルカッタという地名はヒンドゥー教の女神、カーリーに由来するといわれる。

「カーリーの舌は赤いんですよ。人間を食って」

 そんな石川さんの言葉が耳にずっと残った。

「当時のカルカッタは路上生活者であふれていた。死を待つ人々という、マザーテレサの世界。ほんとうにひどいところだった」

 1971年、バングラデシュがパキスタンからの独立を宣言すると、凄惨な内戦を引き起こされた。

「みんな歩いて国境を越えて、カルカッタに難民がどっと流れ込んだ。僕が行ったころは、橋の下だろうと、何だろうと、雨がしのげる場所はそういう人たちでいっぱいだった。どこを歩けばいいのよ、という感じ。まさにカオス。強烈だった」

撮影:石川武志
撮影:石川武志

■インドにたどり着いたけれど

 50年、愛媛県生まれの石川さんは、水俣病患者の撮影に取り組んだことで知られる写真家、ユージン・スミスの助手を務めた後、75年に独立。

 78年、ドイツ・フランクフルトで中古車を購入し、仲間とともに陸路でインドを目指した。

「インドで写真のテーマを見つけようと思って。日本とはすごく違う国じゃないですか」

 ところが、旅の途中、アフガニスタンで内戦が勃発。仲間は全員帰国し、石川さんは1人、神経をすり減らしながら国境を越えた。なんとかインドにたどり着いたものの、もはや限界だった。

「もう歩くだけでフーフーしていましたね。だから、インドはぜんぜん撮影できなかった」

 再び、インドを訪ねたのは80年。

「まあ、前回のリベンジ、ということもありましたけれど、やはり、いろいろな国を訪れたなかでもいちばん興味があったのはインドだった」

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