王さんは高校入学とともに家を離れた。
「家から通ってもよかったんですけれど、学校の寮に住みたかった。子どものころはずっと現実から逃げたい、家を出たいという気持ちがありました」
■大きく変わった故郷
高校を卒業すると、故郷を離れ、北京の大学に進学。ネット企業に就職し、そこで写真編集に携わった後、独立。友人ととも家族写真を出張撮影する仕事を始めた。
心機一転、来日したのは2016年。武蔵野美術大学に編入し、写真を本格的に学び始めたが、壁にぶつかった。
「作品」を撮ることが求められたが、どう撮れば「自分の作品」になるのか、まったくわからなかった。
仕方なく、街の風景を撮ったものの、「そこには自分の個性がなかった。どうすれば自分の作品が撮れるのか、すごく悩みました」。
今回の作品をつくったのは、19年の春休み、久しぶりに中国に帰ったことがきっかけだった。
「大原は『小さな都会』みたいな街。北京に住んでいたころも街の風景は変わり続けていたんですけれど、そのときは変化を特に意識しなかった」
ところが、日本から中国に帰った王さんの目には、故郷の風景はまるで見知らぬ土地のように見えた。
「初めて行った場所みたい。(ここはどこだろう?)みたいな。地図を見ないと前の家に帰れないくらい変化していた」
自分が異邦人のように感じられた。
■父親から他人の名前で呼ばれた
帰省中は子どものころに住んでいた団地のような住宅ではなく、母親が新しく購入した高層マンションで暮らした。
「故郷が変化したうえに、家も新しくなっていた。でも、外部の変化だけじゃなくて、私の家の内部、家族の変化はもっと大きかった」
それは父親の病状のことだった。
「お父さんは時間に対する感覚がまったくなくなっていた。いま何年とか、私が何歳とか、もう全然わからない。私を見たとき、彼の妹の名前で呼ばれたりした」
自分の父親から他人の名前で呼ばれる衝撃。
<父の意識の中で、私は未だ、そして永遠に故郷の小学校に通っている。(中略)私はもう、本当に彼にとっての「他人」なのかもしれない>(作品ポートフォリオから)
「そんな、さまざまな違和感のなかでこの作品はつくられました」