2005年、結婚をひかえた紀宮さま(当時)は、御料牧場で両陛下(当時)と静かに過ごした
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2005年、結婚をひかえた紀宮さま(当時)は、御料牧場で両陛下(当時)と静かに過ごした

 翌12月の誕生日にむけた記者会見で、清子さんの結婚について質問された上皇さまは、こう答えている。

<清子は皇族として、国の内外の公務に精一杯取り組むことに心掛け、務めを果たしてきました。また家庭にあっては、皇后と私によく尽くしてくれました。

 私の即位の年に成年を迎えた清子が、即位の礼には、皇太子、結婚して4か月余りの秋篠宮とそろって出席し、私どもを支えてくれたことは心に残ることでした>

 さらに、有識者会議の方針を踏まえ、皇室で女性が果たした役割について質問を受けた上皇さまは、次のように答えた。

<私の皇室に対する考え方は、天皇及び皇族は、国民と苦楽を共にすることに努め、国民の幸せを願いつつ務めを果たしていくことが、皇室の在り方として望ましいということであり、またこの在り方が皇室の伝統ではないかと考えているということです。

 女性皇族の存在は、実質的な仕事に加え、公的な場においても私的な場においても、その場の空気に優しさと温かさを与え、人々の善意や勇気に働きかけるという、非常に良い要素を含んでいると感じています>

 先の人物は、こう話す。

「上皇さまの最も忠実な側近であった元宮内庁幹部は著書のなかで、この時期の上皇ご夫妻が、皇位継承問題に心を痛め夜も眠れない日々が続いていた、ということを書き残しています。誕生日の会見で上皇さまは、非常に遠慮がちに女性皇族の意義を述べておられる。しかしそれは、才能ある内親王を失ったことに対する天皇の悲痛な叫びにも聞こえます。当時の天皇陛下は、内親王が皇室に残ることを望んでおられたと聞いています。天皇の必死の訴えに政府も国民も耳を傾けないままに過ごしてきたこと。それが、この危機的な状況を招いたのではないでしょうか」

 この人物は、女性皇族が皇籍を離脱したのちも皇族に準ずる身分を保持させる「皇女」案が、逆に混乱の原因になっていると懸念を示す。

「『皇女』というネーミングは、まるで現役の皇族であるかのような錯覚を国民へ与えています。そもそも、皇室から出れば、『皇女』ではない」

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「皇女」という「特権的な身分」の創設は許されるのか