現在もマルベル堂のプロマイドで最も人気がある西城秀樹さん。過去の記録も驚異的で、1975、76、78、79年と年間売上ランキング1位。月間売上ランキングは46回も1位を獲得した
(c)マルベル堂
現在もマルベル堂のプロマイドで最も人気がある西城秀樹さん。過去の記録も驚異的で、1975、76、78、79年と年間売上ランキング1位。月間売上ランキングは46回も1位を獲得した (c)マルベル堂
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 昭和の映画スターやアイドルにとって、人気のバロメーターでもあったプロマイド。その代名詞ともいえるマルベル堂が、今年、創業から100年を迎えた。デジタル化社会のいまなお、多くの人々に支持される理由に迫る。AERA 2021年8月16日-8月23日合併号から。

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 東京・浅草。間口2メートルほどの店に、所狭しと写真が並ぶ。プロマイドといえば、マルベル堂。昭和の時代に、映画スターやアイドルに興味を持ったことがある人なら、間違いなくその名を知っているだろう。

「マルベル堂ってまだあったんだ、って言われるんです。でも、それでいいと思う。100年続くっていうのは、そういうこと」

 そう笑うのは、店長であり、6代目のカメラマンでもある武田仁さん。マルベル堂が生まれたのは100年前の1921年5月。『プロマイド昭和史』によれば、国内スターのプロマイド第1号は同年に撮影された栗島すみ子だというから、マルベル堂の歴史はプロマイドの歴史と言っても過言ではあるまい。

 そう「プロマイド」だ。印画紙を意味する「ブロマイド」が名称だと思い込んでいたが、「マルベル堂は創業当初から、スターを販売目的で撮影した写真のことをプロマイドと呼んでいた」。

マルベル堂の店内。マルベル堂が100年間で撮影したプロマイドは8万5千版超 (写真/篠塚ようこ)
マルベル堂の店内。マルベル堂が100年間で撮影したプロマイドは8万5千版超 (写真/篠塚ようこ)

 創業のきっかけは、洋食店を営んでいた三ツ澤実四郎氏が、売り上げを伸ばすために、自身が収集していた洋画や海外スターの写真を店で販売したことだったという。自分たちでスターを撮るようになった経緯ははっきりしないが、「誰もがカメラを持ち、写真を撮れる時代ではなかった。事務所にとっては宣伝写真も兼ねていたのだろうと思います」と武田さんは語る。

 テレビが普及していなかった時代は、マルベル堂の写真売り上げランキングが人気の指標となるほどだったというから、影響力はすさまじい。やがて、マルベル堂でプロマイドを撮影し、販売することが、タレントにとって一種のステータスになっていった。そのためだろう、デビュー直後に撮影されたのであろう、初々しい表情の貴重な写真がたくさん並んでいる。

圧倒的人気を誇る
西城秀樹のプロマイド

「当時ファンだったのかなという年齢の方もいれば、最近の昭和歌謡ブームで興味を持ったという若いお客さんもいます」という武田さんの言葉通り、取材した日も、店には幅広い年齢層の男女が訪れては、写真を熱心に眺め、探していた。

 最近の人気を問うと、「(西城)秀樹さんですね、もう圧倒的に」との答えが返ってきた。なかでも、いつもと違う写真を撮影したいと考えた秀樹さん本人が、「ヒデキ夢を見る、というプロマイドを撮影してください」と提案したという目を閉じての一枚は「ファンの方はみなさんご存じで、必ず買って行かれます」。

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100年続いた「レシピ」