そして本書のもうひとつの魅力は、悪くすると読み手を不安にさせかねないほど話が多岐にわたりつつも、それぞれがしっかりガンズウェイ号事件と関連づけられているという、風変わりな構成にある。
そうなっているのは、さまざまなものごとが大きく変わる転換期にこの事件が起き、変化を後押しする役割を果たしたと著者が考えているためだろう。
まずこのころは、海上での掠奪行為に対するイギリスの姿勢が変わりつつあったのだという。イギリスは長年にわたり、特定の船から掠奪された財宝の一部を徴収して利益を得ていたが、事件の発生によって、自国が海賊とは無関係であることを国民や貿易相手のインド人に明示しなければ逆に国益が損なわれるということに気づいた。このため容疑者たちを見せしめ裁判にかけ、有罪判決を下す必要に迫られたのだと著者は述べる(本書には、逮捕の憂き目にあった数人の裁判記録がふんだんに引用されており、なんとかして情状を酌量してもらおうとする彼らの執念が伝わってくる。とくに法廷での言葉の応酬は、裁判自体が有罪ありきの恣意的なものだったこと、被告人に弁護人がついていなかったこともあり、劇的の一言に尽きる)。
また事件を機に、イギリス東インド会社のムガル帝国でのプレゼンスが拡大したという見方も示されている。それまで同社は帝国内の限られた地域でもっぱら経済活動を行っていたが、事件というピンチをチャンスに変えて周辺海域を警備する権限を手に入れた。これを踏み台に、同社はインドに対する支配力を強めていったのだと著者は述べる。
さらに、小さな集団の起こした暴力行為がメディアを通して広い範囲に影響をおよぼすという意味でのテロは、この事件が最初だったという。ことの重大さを認識した東インド会社とイギリス政府は国内の官憲と植民地の役人、海上の船員からなるグローバルな捜査網を構築した。このような態勢が整えられたのは空前の出来事だったそうだ。
ガンズウェイ号事件には歴史的な重要性があった。この仮説を、著者は海事史や経営史、イギリス史などの文献を駆使しつつ組み立て、読者の知的好奇心を満足させてくれる。
謎に包まれた主人公に立体感のある他の登場人物、一風変わった物語構成。いくつもの魅力の詰まった本作を、歴史好きはもちろん、そうでない方にも読んでいただければと思う。そしてどんな感想をもたれるか、ぜひ聞かせていただきたい。