『世界を変えた「海賊」の物語 海賊王ヘンリー・エヴリーとグローバル資本主義の誕生』
朝日新聞出版より発売中
1695年9月初旬、インド洋。メッカ巡礼からの帰路にあったムガル皇帝アウラングゼーブ所有の宝物船ガンジ・サワーイー号(英語圏ではガンズウェイ号とも呼ばれる)を、イギリスの海賊ヘンリー・エヴリーの一味が襲った。海賊たちは乗員乗客を拷問・レイプし、財宝を奪って現場を去った。そして事件は、イギリスとムガル帝国を震撼させる。
本書の物語はこのガンズウェイ号事件を軸に紡がれる。つまり凄惨としか言いようのない出来事を取り上げているのだが、この本はなぜか強い興味をかき立てる――翻訳のお話をいただいて原書を読んだとき、私はまずそのように感じた。
これはひとつには、ふたりの主人公が謎のベールに包まれているためだと思う。
ひとりはヘンリー・エヴリー。海に関わる仕事を転々とし、あるトラブルに見舞われたことで船上反乱を起こして海賊に転身した。各地で掠奪行為を働いたのち、ガンズウェイ号を襲い、その後はアイルランドへと逃亡。エヴリーはそこで消息を絶ち、いまに至っているのだが、著者はその後の彼について、伝説のたぐいを含め多彩な説を紹介する。なかには仰天するような話もあるが、著者はそれをたんなる俗説として切り捨てることなく、当時のイギリス庶民の理想や夢と絡めて正面から論じている。
もうひとりの主人公はガンズウェイ号に乗っていた高貴な女性。皇帝の孫娘とも言われていたらしいが、その真偽のほども、船上でどんな経験をしたのかも、事件後どこに行ったのかも、さらに言えば名前さえもわからない。ふたつの国を震撼させた事件の被害者でありながら、彼女についてほとんど何も明らかにされていないこと自体に著者は目を向け、歴史の闇にいくつかの角度から光を当てる。
私の興味がかき立てられたのはまた、このふたりとは対照的に、それ以外の登場人物が克明に描かれているためでもある。事件当時に書かれた書簡は東インド会社の商館員の懸念や危機感を、同時代の歴史家ハーフィー・ハーンによる報告は(抑えた筆致でありながらも)インド側の人々の憤りを雄弁に物語っている。