江戸に幕府を開いた徳川家康以来、幕末の慶喜に至るまで計15人の将軍を生んだ。ここでは週刊朝日ムック「歴史道 Vol.14」から、歴史研究家の河合敦さんが「長寿&早逝」「在位期間」「子だくさん」などで徹底評価。ベスト3とワースト3は?
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長寿&早逝将軍は誰だ?
慶喜(享年77)は31歳で将軍を引退しストレスが解消されたこと、ミルクや豚肉など洋食が大好きで、狩猟やサイクリングで身体を動かしたのが長寿の秘訣かも。家康(享年75)は鷹狩や乗馬など運動を好み、粗食で温かい食べ物を好み、自分で調合した薬を飲むなど健康に留意したのが長生きの要因だろう。家斉(享年69)が風邪も引かず健康で性豪だったのは、オットセイの陰茎でつくった薬のお陰かも……。
家継(享年8)は、兄3人も夭折しているので、遺伝的に身体が弱かったのかも。肺炎にかかり、あっけなく死去してしまった。家茂(享年21)は、ビタミンB不足から脚気 で死んだというが、大の甘党でほとんどの歯が虫歯だというから、食生活に偏りがあった可能性がある。家定(享年35)は生まれたときから病弱で、身体が常に震えていたといわれ、先天的に何らかの障害があり、健康を害していたようだ。
在位期間ベスト&ワースト3
長州軍に敗れる危機的状況で将軍となった慶喜は、幕政改革で復権を目指すが、後援者の孝明天皇が急死したこともあり、倒幕運動を抑えきれずに1年で政権を投げ出した。家康(在位2年2カ月)は政権の世襲を示すため、あえて短期間で息子に職を譲っただけで、その後も大御所として権力を握り続けた。江戸時代は伝染病で死ぬ幼児は多く、家継の在職期間(在位3年)の短さはやむを得ないだろう。
家斉(在位50年)は15歳で将軍に就任し、松平定信に政治を一任したが、大人になると定信と対立して罷免。以後は放漫政治を進め、大御所になっても権力を握り退廃的な世相をもたらした。御三家から将軍になった吉宗(在位29年1カ月)はリーダーシップを発揮し、長期間の改革で財政再建に成功。家綱(在位28年9カ月)は幼くして将軍になったので在位が長いだけ。何もせず無能で、政治が安定したのは家臣のおかげ。