「お前たちが頼りにならないから、今は一日でも長く、俺が元気にしてないと」と金の無心に現れた三男に言いきる。もうすぐ90歳になる新平の物語だ。

 散歩が趣味で、妻を誘うものの毎度「行かない」とつれない。妻が無愛想なのは羽振りのよかった頃に新平が浮気したからで、出かけようとすると女の名前を口にする。認知症の兆しのある妻の疑りにうんざりしながらも突き放さないのがいい。

 一代で建設会社を築いたこと、駆け落ち同然の大恋愛のことなど、散歩の合間に思い出す新平の回想は昭和・平成の世相録の趣がある。

 夫婦には3人の息子がいるが、50歳前の三男は口ばかり。長男は不登校のまま部屋にひきこもっている。ただ一人家を出て独立した次男は「長女」を自称する。なんとも深刻そうな一家ではあるが、植木等の歌声が聴こえてきそうな爽快感が漂う。(朝山 実)

週刊朝日  2021年3月12日号