その男はボクサーのようは巧みな足さばきで人波をすり抜け、被写体の前まで来ると、すばやくカメラを構え、シャッターを切り、通り過ぎていった。
やがて、山崎さんはこの男の正体を雑誌「写真時代」のインタビュー記事で知る。黒ぶち眼鏡をかけた目で真っすぐにこちらを見つめる山内さんの姿。その写真のわきには「撮影=森山大道」とある。
「その記事に山内さんが森山さんに師事して、東京写真専門学校の夜間部に行っていたことが書かれていたんですよ。じゃあ、俺も行ってみようかな、と思って。85年に入学したんです」
ところが、残念ながら、山崎さんが入学したとき、夜間部に森山ゼミはなかった。
「それで、『フォトセッション』というワークショップに参加して、そこに森山さんを月一回呼んで、合評会をやるようになったんです」
その事務所は中野坂上にあり、仲間内から「アジト」と呼ばれていた。山崎さんはこのアジトに86年から2年間通った。
「山内さんの背中を追って、ストリートスナップを撮り、それを森山さんに見せていたんです」
「構図をちゃんと決めて撮ると、つまんなくなっちゃうんですよ」
最初はモノクロフィルムで撮影していたが、やがて「カラーで写すようになった。モノクロの山内さんと差別化したい、という意識があった」。
90年、カラー作品「路上の匂い」を発表。この年から撮影機材をパノラマカメラに切り替え、のちに「CROSSROAD」となる作品を撮り始める。山崎さんはパノラマのフォーマットを選んだ理由をこう語る。
「ストリートスナップって、誰が撮っても、同じ感じになっちゃうんですよ。そこに何か、自分の独自性を出していかないと、評価されない。それに山内さんという巨人がいるので、同じ土俵で撮ったら、まず、越えられないじゃないですか。当時、パノラマの作品は、ヨゼフ・クーデルカ、ヨゼフ・スデックくらいで、撮っている人がわりと少なかった。それもねらいと一つとしてありました」
画面を広くすることで、人だけでなく、その背景となる街の状況をもう少し写し込みたいという気持ちもあった。
カメラは中判のゼンザブロニカETR Si。それにパノラマバックを装着し、街を歩いた。
当初はそれまでの流れでカラーで写していたが、「しっくりとこなかったですね。情報量が非常に多いので、散漫になってしまうというか。モノクロのほうが主題がはっきりとする。それでモノクロに戻したんです。フィルム現像からプリントまで全部、やはり自分の手でやりたい、という気持ちもありました」。