年が明けて早くも1週間が過ぎました。一昨年12月の当コラムで和風月名の意味や成り立ちに触れ、それを皮切りに各月の月名の意味を考察してきました。如月(二月)から霜月(十一月)まで考察解釈を試み、残るは師走(十二月)と睦月(一月)の二つのみ。新年にあたり一気にこのふた月の解釈し、和風月名私論の総括をしたいと思います。何かとややこしいシリーズですが、お付き合いいただければと思います。
この記事の写真をすべて見る謎ワード「しはす」。その真の意味を考える
「師走(しわす しはす)」の意味については、現代ばかりではなく、中世・近世の言語学者たちも頭を悩ませてきました。一昨年の当コラムでは、師走=師(僧侶)が駆けずり回る(ほど忙しい)、というもっとも有名な解釈は通常「俗説」とされがちだが、中国最古の語釈辞典『爾雅(じが)』の十二月の特性をあらわした「涂月」の意味から、必ずしも的外れとは言えない、と説明しました。
ただし、この解釈の最大のウイークポイントは、「師」を「し」と読むこと自体が漢音(音読み)だということ。和風月名のコンセプトである外来文明到達以前の日本オリジナルの「いとふるき和訓」というスキームと食い違ってしまうことです。「師走」をその漢字の意味から考察する限り、和風月名は漢籍由来、外来文明の影響で生まれた名前、ということになってしまいます。
他の解釈、たとえば『和爾雅(わじが/貝原好古 1694年)』による「四極(し、はつ)」=「四季が巡り終わる」という解釈でも、「四」を「し」と音読みしている時点で同様です。
『紫門和語類集(菅泰翁纂 江戸時代後期頃)』の「成終月(ナシハツルツキ)」、『倭訓栞(谷川士清 1777~1887年)』の「歳極るの義なるべし」つまり歳(一年)が極まる月、というのはどうでしょうか。これらの説には、具体的内容を示さない「成す」(英語で言えばdoですね)という抽象的概念や、一年というやはり抽象的な時間観念を、古代人が果たして月名に使用しただろうか、という大きな疑問、違和感があります。古代人の思考は、現代人のようなものごとを一般化して分別する抽象思考ではなく、あらわしたいものを具体的な動詞や名詞、天象・地象や生物、神・精霊などに仮託するイマジナリーなものであったはずだと思うのです。
これら既存諸説の瑕疵、弱点をふまえて、筆者は「しはす」の意味をこう推理します。
まず、土(とりわけ土器や瓦に使用する粘土)のことを古くは「埴(はに)」と言いました。そして深く掘り下げた底のほうにある層の土を「しはに」(底土)と言いました。
次に、古くは氷や、物体が氷結する現象を「しが」「すが」と言いました。東北地方のわらべ歌として有名な「どじょっこふなっこ」。
春になれば すがこも溶けて
冒頭部分の歌詞に出てくる「すがこ」(すがっこ)とは、主に秋田県周辺の方言で川や池の結氷、凍結した水溜りなどのことです。つららのことを青森の津軽弁では「すがま」。茨城県の久慈川では、厳冬期にシャーベット状の氷が発生して流れます。この現象を「しが(氷花)」と言います。結氷を意味する古い言葉が、東北や関東の方言に残存しているのです。
旧暦十二月は、新暦で言えば12月下旬から2月上旬ごろ。つまり「しはす」とは、寒さの底となり「しはに(底土)がすが(結氷)る月」、そんな厳しい時期をあらわした月名ではないでしょうか。
意味は世界が生成される月?「君が代」と「睦月」の関連とは
旧暦一月は和風月名で睦月。一般的には、新年を迎えて家族親戚が集って仲「睦(むつ)まじく」過ごすから「むつむ(ぶ)月」、これが縮まって睦月となったとする説がもっとも流布される有名な解釈です。
心温まる説ではあるのですが、先史古代の人々が集まるのは何も正月だけではなかったのではないか、むしろ正月やお盆に親類家族が集うという風習自体、大きな都市が出来、人が故郷を離れて都市に移住するようになり、また遠距離を行き来するようになった近世以降に大きな意味をもつようになったと考えると、どうしても違和感が否めません。「睦む月」という解釈も決して間違いではないのですが、それを今風にわかりやすく「家族が仲睦まじく親交する」という意味に短絡してしまうのではなく、「むつ(ぶ)」という言葉自体の成り立ちを考察して、本来の意味を考えるべきでしょう。
自身の子供を、「むすこ(息子)」「むすめ(娘 息女)」と言います。この「むす」は、「君が代」の
さざれ石の巌となりて
苔のむすまで
の「むす」すなわち「生す」と同じで、自身に、あるいは自身の家系/家族に生まれた子という意味です。「むす」は、「むすぶ(結ぶ 掬ぶ)」という言葉、また「睦ぶ」という言葉の語源にもなっています。
製糸作業で、撚(よ)った糸をぐるぐると巻きつけながらさらに撚りをかける心棒を「紡錘(つむ)」と言います。「糸つむぎ」の「つむ」と言ってもいいでしょう。この「つむ」は、「つむじ」つまり螺旋状の形状や動きを意味します。中国の神話で、人類を創造したとされる創世神・伏羲(ふぎ)と女媧(じょか)は人頭蛇身の兄妹神で、蛇身をたがいに絡み合わせ、撚りあった図像であらわされます。陰陽、天地が交わり、「むすび合う」ことで、物事は生じ、そして世界、生命の生成がはじまる、ということわりをあらわしているのです。
先年の霜月で天地が分かたれ、凍りついた仮死状態の世界。新年とともにふたたび天と地が引き合い、撚りあって、世界が鼓動し、新しい生命が胎動をはじめる。この月のことを「むす(生す)月」と呼び、やがて「む月」と呼ばれるようになったのではないでしょうか。
和風月名私論をふりかえる!
さて、これで和風月名十二ヶ月全ての新解釈が完了しましたので、簡単にまとめて列挙してみます。
『睦月』天地の力が「むすび」合い、新たな生命活動の萌芽が「生(む)す」月なので「む月」
『如月』ぎざぎざに気温が上下し、草木の芽が「きざす(きさらぐ)」月なので「きさらぎ」※詳しくはこちら
『弥生』本格的な春が訪れ、草木は生い育ち、いよいよ心地よい気候になって「いや生う/いや良い」月なので「やよい」※詳しくはこちら
『卯月』動物たちは生殖の季節を迎え、次世代の卵や幼生たちが「生まれ出る月」なので「う月」※詳しくはこちら
『皐月』生き物の成長の勢いは頂点に達し、また風雨が盛んになってざわざわ、さーさーと自然界がさざめきさわがしい月だから「さ月」※詳しくはこちら
『水無月』生殖と成長の季節が終わり、どんぐり、栗、柿など、木々の枝には実が生じる。「実が生る月」だから「みな月」※詳しくはこちら
『文月』あぶられるような炎暑の時期。火(ひ・ほ・ふ)の作用がつよくなる「火充つる月」なので「ふみ月」※詳しくはこちら
『葉月』嵐(台風)が頻々と訪れ、大地・草木を「剥ぎ」取る。またそこを「接(は)ぐ」ように「萩」の花が咲く。「はぎ」の月だから「は月」※詳しくはこちら
『長月』実りの秋。豊富な食べ物を前にして「なごむ」月だから「なが月」※詳しくはこちら
『神無月』自然に作用し、生命活動を支えてきた隠れた力「神(隠)」が、山奥や谷奥の秘所へと帰る(直る)=「かみ・なおる月」なので「かみな月」※詳しくはこちら
『霜月』神の作用が減じた世界は沈降する。生命は萎れ、下へと沈み行く月なので「しも月」※詳しくはこちら
『師走』底土(しはに)が「氷(すが)」となるほど厳寒の月なので「しはす」
いかがでしょうか。和風月名は、「明治期以前の日本人が月名として使用していた」という説明が各所でなされていますが、実際には現在と変わらない数字月(1月、2月、3月…)や、十二支を月ごとに当てはめた十二月建が一般的で、昔の日本人にとっても和風月名は「意味のよくわからないミステリアスなもの」だったのです。歳時記等での説明とは相当かけ離れていると思いますが、賛否両論、闊達な意見をいただけるとうれしく思います。
2021年は辛(かのと)丑(うし)。「土生金」の相生になります。この一年が実り多い幸せな年でありますようお祈り申し上げます。