「白露」からひと月経た「寒露」は「陰寒の気に合って、露結び凝らんとすればなり」と『暦便覧』に記されるように、光を受けて輝いていた露の眺めも寒々しく感じられるようになる時季です。

とはいうものの、私たちの感覚では暑くも寒くもなく半袖と長袖やジャケットを組み合わせて、秋の空気を存分に楽しめる季節といえましょう。春の華やぎとは違う静けさと落ち着きをもった穏やかな10月をどのように過ごしましょうか。

渡り鳥がやって来る。初候は「鴻雁来(こうがんきたる)」

雁が北の国から渡ってくる、といわれても現代ではなかなかピンとくる人は少ないかもしれません。雁というと小学生の時に教科書で読んだ「雁の残雪」と「猟師の大造じいさん」のお話を思い出しませんか。どちらも生きるための闘いです。知恵には知恵で返し勝負は簡単にはつきません。あるとき大造じいさんは、雁の残雪が仲間を救うために挑んだハヤブサとの戦いに思わず銃を下ろし見守ります。やがて傷つき墜落した残雪が宿敵である自分を見据える目に威厳を見いだし、尊敬の念を持つようになります。大造じいさんは残雪に傷の手当をしてやります。残雪の傷が癒えたとき、正々堂々と勝負していくことを誓いながら送り出すのです。渡り鳥は生きるために季節を追いかけ移動してきます。そこには人間世界との対決もまたあるのです。

雁が渡ってくる頃に吹く風、秋の北風を「雁渡(かりわたし)」というそうです。雁の到来は秋の深まりとともに長い冬に向かって、人間には食料確保という大切な仕事が始まるのを知らせるものでもあったのです。

「鶏頭や雁の来る時尚あかし」芭蕉

鶏頭はニワトリのとさかを思わせる真っ赤な花をつけます。同じように真っ赤になる「葉鶏頭」もその名の通り葉っぱが赤く染まります。雁の来る頃に色づくので「雁来紅(がんらいこう)」とも呼ばれているそうです。遥か彼方からやって来る雁の目にも、真っ赤に染まった鶏頭と秋の美しさはきっと映っていることでしょう。

葉鶏頭「雁来紅」
葉鶏頭「雁来紅」

秋の花は数あれど。次候は「菊花開(きくのはなひらく)」

秋の景色のいろどりに菊の花はかかせません。大輪に咲くものから小菊までさまざまな種類があるのも菊の豊かさです。日持ちすることからご仏前のお供えにもよく用いられます。

菊の花が咲き始めるこの季節、旧暦の9月9日は「重陽の節句」としてお祝いする日でもあります。陰陽道で奇数は陽の数、その最大数9が二つ揃うめでたい日ということで名づけられました。また中国の河南省にある白河の崖の上にあった菊からしたたり落ちた露を飲んだ者が長生きをしたという伝説から、菊は長寿の象徴となりました。

菊の花が咲き始める時期にかさなる「重陽の節供」は「菊の節句」とも呼ばれ、長寿と繁栄を願い宮中ではその昔盛大に祝われたそうです。菊を飾って愛で楽しむ「観菊の宴」、盃に菊の花を浮かべて酌みかわす「菊花の宴」など、詩や和歌など詠いあって大いに盛り上がったことでしょう。

この季節になると菊の花の美しさにあらためて気づかされます。なぜでしょうか、それは秋の陽ざしの柔らかさにあるのでは、と思い至ります。今では1年を通して手にとることができる菊ですが、深く青い空、色を失っていく木々の緑や里山の風景があってこそ、菊の色は冴えてくるような気がするのです。季節が持つ、目には見えない何かって大切ですね。

聞こえていますか、虫の声。末候は「蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)」

夏の終わり、蝉の鳴き声が静まりかけた夕方にフッと虫の声に気づくことがあります。遠かった虫の音が次第に近づいてきて「もう戸のあたりにまで来ていますよ」というのが「蟋蟀在戸」です。虫の声に秋の兆しの涼やかさを感じ、秋の深まりに虫の音がすこしずつ近づいてくるという鋭い感覚に驚かされます。

「虫聞き」といって昔の人は、夕暮れ時に野山に虫の声を聞きに出かけていったそうです。豊かに秋を過ごすなんとも素敵な行楽ではありませんか。現代の私たちも自然に対するこの感性を持ち続けたいものだと思いませんか。

「其中に金鈴をふる虫一つ」 高浜虚子

「秋の夜長」といわれます。ほんとうは冬の方が夜は長いんですよ、と言いたくなりますが、秋の夜は夜更かしをしても何か楽しい充実感があるからではないでしょうか。「灯火親しむの候」灯りの暖かさと静けさの中に読書も夜なべもはかどりそうです。しぐれる虫の音、吹く秋の風には心を穏やかにする落ち着きがあるのでしょう。秋の夜長を静かに過ごすといろんな気づきができそうですよ。