文芸春秋に入社して2018年に退社するまで40年間。『週刊文春』『文藝春秋』編集長を務め、週刊誌報道の一線に身を置いてきた筆者が語る「あの事件の舞台裏」。日本一有名なファミリーであり、掲載すれば雑誌が売れること間違いなしだった「皇室」の素顔とは…。(元週刊文春編集長、岐阜女子大学副学長 木俣正剛)
●「必ず雑誌が売れる」のはどんなテーマか?
雑誌編集者として絶対成功する企画の法則をひとつだけあげるとすると、「日本人のほとんど全員が家族の顔と名前を知っている家族をテーマにする」ことです。雑誌も売れるし、テレビであれば視聴率も上がります。
例えば皇室。誰もがファミリー全員の名前と顔を知っています。また、貴乃花一家や長嶋茂雄一家、あるいは野村克也一家などもその対象です。家族全員が半ば公人であり、写真や映像がたくさんあるせいもあるでしょう。
ですから、雑誌としては、これらの家族の皆さまには大変迷惑をかけつつ、お世話になりました。
私の皇室取材体験の最初は、皇室と縁のない取材からでした。外務省に小和田恒事務次官の娘が入省することになったので、親子で撮影をしてくださいという月刊文春の企画です。外務省前で撮影したときは、雅子さんはふっくらしておられ、やせ型の親父さんに比べて、いかにも新入生という感じでした。この時は、まさかお妃候補になるとは、まったく思ってもおらず、かなり適当な取材をして帰ってきました。
大体、週刊誌が皇室を標的に記事にしたのは、ここ30年くらいのこと。以前は女性週刊誌の標的にはなっても、文春や新潮の関心事ではなかったと思います。
しかしごく稀に、突然、皇室の取材をしろという指令が下ったこともありました。「皇后陛下が70歳になられて、専任の看護婦さんがついた。どこか悪いところがあるのか取材しろ」という指示です。私は1年目の新人時代。皇室関係の取材先など、1人も知りません。デスクに相談すると「ああ、この人に聞いたらいいよ」と、ある新聞の皇室担当記者の名刺をくれました。
「親しいのですか?」と聞くと、「いや先週、宮内庁記者クラブの批判記事を書いたら、この記者がクラブ代表で抗議にきた。それだけのことです」「えッ?抗議にきた人に取材を頼むのですか?」。とんでもない会社です。しかし、この記者、親切に皇室のことを教えてくださり、今もまだおつきあいがあります。
こんな牧歌的な時代もあったのです。