実家に置いている愛車、ハーレーダビッドソン・スポーツスター883cc。「ハーレーといえばデカいイメージだけど、日本だとこれくらいの大きさのほうが景色に映えてカッコいい」。渋川のこだわりだ(撮影/山本倫子)
実家に置いている愛車、ハーレーダビッドソン・スポーツスター883cc。「ハーレーといえばデカいイメージだけど、日本だとこれくらいの大きさのほうが景色に映えてカッコいい」。渋川のこだわりだ(撮影/山本倫子)

 一方で、芸能の“業界”には乗り切れない。時間を見つけては地元に帰り、昔の仲間とも交流を続けた。幼馴染みの大竹鉄夫(45)は言う。

「今もそうだけど、つきあい方が変わらないのは嬉しいよね。若い頃はこっちもお金がなかったからいつも奢ってくれた。悪いなぁって思うけど、キーちゃんがいつも言うのが『カネは天下の回りモンだ』って。面倒見がいいんですよ」

 KEEという名前を渋川清彦に改めたのは30歳のころだ。区切りといった思いはなかったが、この先、時代劇に出たときエンドロールに「KEE」と出るのは嫌だった。ただし、本名ではない。イメージしたのは侠客、国定忠治だ。

「国定忠治の本名は長岡忠次郎なんだけど、群馬の国定村の忠治ってことでそうなった。だったら俺も渋川の清彦でもいいかなって」

 そんなことを思いつくだけあって、渋川もまた義理と人情に厚く男気がある。

 京都の映画館、京都みなみ会館に勤める尾関成貴(34)は、渋川の出演作品を集めた「渋川清彦映画祭り」を2度も企画した人物だ。

「僕はもともとモデル時代からファンなんです。渋川さんが作られる音楽も服も大好きで、もちろん役者としても最高にかっこいい。それで提案させていただいたんですけど、実現できるまで本当に親身になって相談に乗ってくださいました」

 2度目に開催したのは渋川が40歳になるタイミング。ゲストにはゆかりの深い豊田利晃、風間志織、石井岳龍、濱口竜介や三宅唱、自主制作で渋川の主演作を撮った黒チェルシーの渡辺大知など、多くの監督や俳優が駆け付けた。

「『それなら喜んで』とたくさんの方が気持ちで来てくれましたが、その愛され方は、渋川さん自身が情に厚い人だからでもあると思うんです」

 尾関が企画した豊田監督のオールナイトイベントでのことだ。名古屋で撮影の仕事が入っていた渋川は参加できない予定だったが、オールナイトの最後の作品を上映中、ひょっこり現れたという。撮影が終わった朝5時に名古屋を出て、マネジャーが運転する車で京都まで駆け付けたのだ。

「朝7時から監督と一緒にゲストトークをして、最後は200人のお客さんと握手してくれた。皆、大感動でした。渋川さんもかっこいいけど、運転してきたマネジャーさんもすごくステキな方で。僕、二人の相棒感も好きなんです」(尾関)

■過去の名画を追いかけた、全ては台本に書いてある

 渋川が現在の事務所に移籍したのは、約10年前のこと。給与体系は固定から歩合に変わり、俳優人生のなかでは、経済的にここが一番しんどい時期となる。それでも新しい場所に行ったのは、渋川が持つ反骨精神が、自らに向かったからだ。
「前の事務所でも好き勝手にやらせてもらってたと思う。でも、基本は入れ墨ダメで。俺は関係なく入れちゃってたけどね。必要な時は自分で消すし、別に人に迷惑かけてるわけじゃないって思いもあった。でも、そこでそれをやってることに違和感があった」

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