「シルバーバックはえこひいきをせず、群れの仲間すべてに平等に接する」。山極はゴリラから学んだことを、研究とともに大学経営にも生かしている(撮影/楠本涼)
「シルバーバックはえこひいきをせず、群れの仲間すべてに平等に接する」。山極はゴリラから学んだことを、研究とともに大学経営にも生かしている(撮影/楠本涼)

 大学運営では決して強引な手法をとらない山極だが、大学行政に関わる省庁の官僚とは何度もぶつかってきた。「理系の実学重視」の世論に押された文部科学省が、2015年に全国の国立大学に対して文系学部・大学院の見直しを通達すると、「京大にとって人文社会系学問は重要」といち早く声明を発表した。「短期的な成果を求める研究費の『選択と集中』が、日本の研究力を低下させている」と国の政策にも真っ向から異を唱える。山極は今、日本全体で学生の海外留学希望者が減り、「内向き思考」が強まっている傾向に危機感を抱く。

「今西錦司先生が拓(ひら)いた日本の霊長類学をはじめ、伝統的に京大は、独創的で誰もやっていない研究に取り組み世界をリードしてきた。『それおもろいなあ、やってみなはれ』の精神が京大の神髄で、僕も伊谷先生の研究室でそれを叩き込まれた。学生には、『どんどん世界に飛び出して、武者修行をしてこい』と発破をかけています」と語る。

 総長退任まであと1年半。「その後の予定は?」と聞くと、山極は「まだ何も決めていないが、アフリカの仲間のところに戻りたいね」と笑った。山極にとっての「仲間」とは、現地の人々だけでなく、きっとシルバーバック率いるゴリラたちをも意味するのだろう。(文中敬称略)

■山極壽一(やまぎわ・じゅいち)
1952年/東京都生まれ。父は富士通に勤めるサラリーマン、1歳半上の姉と3歳まで茨城県下館市(現筑西市)で育ち、東京都国立市に転居。
70年/京都大学理学部入学。後に師となる伊谷純一郎の『ゴリラとピグミーの森』に古本屋で出合う。2回生の終わりに伊谷を訪ね、仲間と共に「人類生態学研究会」を作る。
75年/京大理学部卒業。卒業研究では地獄谷のサルの性行動の調査に取り組む。「サルの入る温泉を掃除しながら顔と名前を覚えて毎日その行動を逐一記録した」
77年/京大大学院理学研究科修士課程修了。修士論文では日本列島を縦断し、各地のサルの形態的変化および社会の変異を調査する。その後の博士論文では屋久島で9カ月間の長期調査に取り組んだ。「空き家を借りて、金がないから夜釣りをして取った魚を食べていた」
80年/京大大学院理学研究科博士課程退学。博士課程2年から「家族の起源」をゴリラから探る研究を始め、アフリカのコンゴ、ルワンダ、ケニアなどに滞在。伊谷の紹介でダイアン・フォッシーと出会う。
83年/愛知県犬山市の日本モンキーセンター研究員になる。84年に画家の伏原納知子と結婚し、後に『おはよう ちびっこゴリラ』などの共著を出版。
88年/京大霊長類研究所助手。コンゴに2度にわたって各10カ月、家族で滞在して研究に取り組む。
92年/ルワンダ内戦やコンゴ動乱を機に、カフジ山で住民主体のゴリラとの共存を目指すNGOポレポレ基金の設立に参加、以後日本支部を作り活動を支援する。
94年/新たな調査地を求めてガボンへ渡航、プチロアンゴやムカラバに居を据えてニシローランドゴリラの調査を開始する。
98年/京大大学院理学研究科助教授に就任。
2002年/同教授に就任。院生のドクター進学や就職に尽力する。
05年/日本霊長類学会の会長に就任。
08年/国際霊長類学会の会長に就任。
11年/京大大学院理学研究科長・理学部長に就任。
12年/京大経営協議会委員。
14年/京大総長就任。
17年/国立大学協会会長、日本学術会議会長に就任。

■大越裕
1974年生まれ。フリーライター。理系ライター集団チーム・パスカルに所属し、研究者や先端企業を取材。本欄では「作家・道化師・ミュージシャン ドリアン助川」「哲学者 鷲田清一」などを執筆。

※AERA 2019年4月8日号

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