山極は、京大で霊長類の研究をしていた『高崎山のサル』の著書で知られる助教授の伊谷純一郎の研究室を訪ねた。そこには京大だけでなく他大学からも霊長類学・人類学の研究者が夜な夜な集い、酒を酌み交わしていた。
「調査で行ったあちこちの珍味を食べながら、侃々諤々(かんかんがくがく)の議論をする。そこでは文献や他人の言葉ではなく、皆自分の体験に基づき『俺はこう思う。お前はどう思うんだ』と話していた。まさに梁山泊(りょうざんぱく)で、自由奔放な空気が実に面白かった」
大学院に進むと、下北半島から屋久島まで日本列島を縦断して各地のニホンザルの生態を調査した。「ゴリラをやってみないか?」と伊谷から声をかけられたのは、屋久島から帰ってきたときだ。
「当時、欧米の研究者の間で、ゴリラの社会を巡る議論が起きていた。それまで野生のゴリラ集団は穏やかな共存関係にあると思われていたが、ダイアン・フォッシーという研究者が雄の子殺しを発見し、『ゴリラの集団同士は母親を奪い合う強い敵対関係にある』と主張したんです。霊長類の社会に関心を持った自分も、ぜひ現地で調査したくなった」
伊谷に抜擢された理由について、山極は「体が大きくて、屋久島でもどこでも地元の人と酒を飲んで仲良くなったから。こいつならアフリカでも何とかなるだろう、と思われたのでは」と語る。
山極の40年にもわたるアフリカでのフィールドワークはこの時から始まった。標高3千メートルほどの高地の森に暮らすゴリラに近づくには、彼らの警戒心を解く「人付け」という活動が必要になる。数人で森の中に出かけ、ゴリラの声が聞こえる距離で後を追い、夕方まで過ごすのだ。人付けには数年かかるのが普通だが、密猟者に狙われるゴリラは人間を嫌っており、最初は人の姿を見たら一目散に逃げる。
「その後をついていくと、いら立ってこちらに向かって攻撃してくる。でも『突進すれば人間は逃げる』と思われたらそこで終わり。踏みとどまって耐えねばならない」
あるときは雌のゴリラ2頭に噛まれて、頭と足を数十針縫う大けがを負った。「雄ゴリラだったら死んでました。相撲取りより大きな体で牙が5センチもあるからね」
●時に酒を酌み交わし現地の人と良い関係築く
命を賭してゴリラの群れに受け入れられると、間近でその生活を長時間観察できるようになった。子ゴリラ同士がレスリングで遊ぶ様子を、シルバーバックが見守る姿を見るうちに、山極は彼らに親近感と気高さを覚えた。しぐさや「グフーム」という唸り声から、ゴリラが何を考えているかもわかるようになった。
「後にダイアン・フォッシーに会ったとき『ゴリラのあいさつをしてみて』とテストされ、無事にパスしました。あまりにゴリラの世界に入り込んでいたので、久しぶりに日本に戻って友達と飲んでいたら、『お前さっきからずっと唸ってるぞ』と笑われたりもした」
山極が発見したゴリラの知られざる生態の一つに「覗き込み」がある。ある時、雄のゴリラが山極の顔から20センチ程に顔を近づけ、じっと見つめてきたことがあった。サルの場合、正面から目が合うと威嚇と見なされ攻撃されるため、山極は目をそらした。するとゴリラは残念そうな様子で回り込み、また山極の顔を覗き込んできた。
「それで、これは彼らのコミュニケーションなんだ、とわかったんです」
人間には白目があるため、遠くからでも視線に気づき、相手の感情を黒目の動きで細かくモニターできる。だがゴリラの目には白目がない。そのため近くに顔を寄せることで、相手を遊びや交尾に誘ったり、食べ物をねだったりするのである。