秋田朝日放送では月1でレギュラーの気象コーナーを持つ(撮影/工藤隆太郎)
秋田朝日放送では月1でレギュラーの気象コーナーを持つ(撮影/工藤隆太郎)

 この秋田豪雨では、24時間累計の雨量が300ミリを超え、県内の観測史上最大となった。心配だったのは雄物川の氾濫。湯沢市から秋田市にかけて県内を斜めに突っ切るように流れる雄物川には本流域にダムがないこともあり、大雨が降るたびに氾濫を繰り返してきた。中流域には今も無堤防区域が残り、台風などで大量の雨が降ればあっという間に浸水する。

 今回も雄物川は24日朝に氾濫した。堤防のない大仙市の岩瀬・湯野沢地区に住む加藤久雄(66)は、「早朝に雄物川が越水し、あっという間に道が冠水した。高さ1メートルほど浸水した建物もあり、急いで家族4人で避難した」と振り返る。

 このときの雨による大仙市、秋田市、横手市の浸水被害は、東京ドーム770個分に相当する36平方キロメートルに上った。だが、県内の10の市と町がおよそ5万世帯、約12万人に避難指示や避難勧告を出していたため、こうした甚大な被害にもかかわらず一人も犠牲者を出さなかった。ホットラインが功を奏したのである。

 和田は「首長の適切な判断と、その情報に従ってみなが行動した結果が犠牲者ゼロにつながった」と謙遜するが、「ホットラインの成功事例が明らかになったのは秋田豪雨が初めて」(気象庁防災企画室)という実績を作った。

 そんな和田が育ったのは山形県高畠町。県南の大都市米沢市から近い田園風景が広がる農業の盛んな土地で、57年、ブドウ園を営む両親のもとに生まれた。

 高1まで野球部。その後は応援団に籍を移してバイクを乗り回していたが、音楽に興味を持つようになり、友人とのバンドにのめり込んでいく。父の渡部嘉助(89)は、「根が明るく楽天的。いつも自分の好きなことをしている子でした」。

 秋田の宿舎で和田と同居中の三女の幸扇(20)も、「家での父は明るく、お酒を飲みながらいつも冗談ばかり言っている」と話す。

●国鉄から気象庁へ転職 空港の霧の原因突きとめる

 高校を卒業して就職先に選んだのは、子どものころから憧れていた国鉄(現在のJR)。だが「それまでチャラチャラしていた自分を鍛え直すため」に、国鉄への勤務が始まるまでの半年間、陸上自衛隊に入隊し、東根市の神町駐屯地で過ごした。

 10月から国鉄勤務が始まると、今度は同僚とバンドを組み、腕試しにヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)に出場。すると東北グランプリ大会まで勝ち進んだ。

 演奏と作詞作曲までする腕前を買われ、乗客を呼び込むPRの一環として列車内でバンド演奏。また、趣味の動画撮影と編集の特技を活かし、観光ビデオを作って駅の待合室で流したりもした。

 26歳の若さで助役試験に合格するが、87年に分割民営化が決まるとあっさりと退職する道を選ぶ。父親には反対されたが、「国鉄ではやり切った。この機会に全てをリセットし、違う世界でやり直そう」と考え、再就職先には国鉄の人事担当者から紹介された気象庁を選んだ。

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