和田への講演依頼は次から次へと舞い込む。昨年11月には秋田市立飯島中学校で「気象災害から命を守る」をテーマに講話。生徒の一人、石井良果(はるか、14)は、「授業で気象を勉強しているところ。とても興味深い話が聞けた」(撮影/工藤隆太郎)
和田への講演依頼は次から次へと舞い込む。昨年11月には秋田市立飯島中学校で「気象災害から命を守る」をテーマに講話。生徒の一人、石井良果(はるか、14)は、「授業で気象を勉強しているところ。とても興味深い話が聞けた」(撮影/工藤隆太郎)

 積極的に活用したのはSNS。市町村長は町のアピールのために自分のフェイスブックのページを持っていることが多い。和田は台長として多忙な業務の合間に県内の25人の首長がページを持っているかどうかを自分で調べ、見つけると早速友達申請を行った。その後はこまめに閲覧し、その時々にメッセージを書き込んだ。すると首長たちも応答する。やりとりが続くうちに関係は深まり、ふるさと納税をしたり、首長から誕生日プレゼントが届くような間柄に発展した。

 首長たちとコミュニケーションを取り続けたのは、過去に苦い経験があったからだ。盛岡地方気象台長時代の16年8月、東北北部を横断した台風10号の影響で岩手県では26人が命を落とした(関連死4人含む)。岩泉町では小本川(おもとがわ)が氾濫し、その水が高齢者施設に流れ込んで9人が犠牲になったが、町が避難指示や勧告を出さなかったことが非難された。実はこのとき和田は、ホットラインを使わなかった。町長の携帯電話番号は知っていたが、「まだ予報に不確定要素のある段階だった」ので、次長に町へ電話を入れるよう指示をしたのだ。次長が話す相手は町長ではなく、町の防災担当者。結局、町長に危機意識が伝わらず、町民の命が犠牲になった。

 そして電話をためらったもうひとつの理由が、町長が「話したことのない」人だったから。携帯番号は前任者から引き継いだもので、本人とは会ったこともない。だから、電話口の向こうの町長をイメージできず、ためらいが生じた。「もし自分が躊躇せずあのときホットラインを使っていれば、違う結果になっていたかもしれない」。その思いがずっと消えずにいた。この時の経験をもとに、普段から顔の見える関係を築いていることがいかに大切かを知った。

 同じ轍を踏むまいと、和田は17年4月に秋田地方気象台の台長となってからは全市町村への首長訪問に真っ先に取り組んだ。就任挨拶を済ませるとホットラインの説明を切り出し、携帯電話番号の交換を持ちかける。ほとんどは快く応じてくれた。だが、なかには「防災担当者に任せたい」と交換を渋る人もいた。そんなときは思い切って盛岡での苦い経験談を話した。すると「分かった」と、番号を教えてくれた。5月が終わるころには、県内全員の首長とのホットラインが完成し、知事の佐竹敬久にも報告した。通例、多忙な全首長への訪問が終わるまでは年単位の時間がかかるというから、わずか1カ月半は異例の速さ。和田の意気込みが伝わる。

 和田のコミュニケーション能力を評価する声は多い。北秋田市長の津谷永光は「お話ししやすい方。忙しいだろうと思いつつ、こちらから電話してみようという気になる」。仙台管区気象台時代に和田の上司だった気象庁観測部長の長谷川直之も「人との関係をとても大事にできる。ホットラインがうまくいくかどうかは、首長からどれだけ信頼されているか。首長が頼る存在になっていることが容易に想像できる」と評する。

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和田のもう一つすごいところ