昭和44年3月の路線図。上野界隈(資料提供/東京都交通局)
昭和44年3月の路線図。上野界隈(資料提供/東京都交通局)

 江戸幕府の創成期、幕府は京都の比叡山延暦寺に対比して、江戸城の鬼門の方角にある上野の台地に「天台宗東叡山寛永寺」を建立した。寛永寺の開祖である慈限大師天海は不忍池を琵琶湖に見立てた。そして琵琶湖の竹生島に模して中之島(弁天島)を築かせ、弁財天を祭祀した弁天堂を建立した。

 当初は文字通りの島であったが、東側に石橋が架けられてからは、徒歩で島に渡れるようになった。明治期には島の西側に観月橋が架橋され、不忍池が徒歩で横断可能となった。現在も中之島にある不忍池弁天堂、大黒天堂などの古刹に参詣者が絶えず、東京名所にひとつに数えられている。

 余談であるが、筆者が撮影した地点の地下は、成田空港への特急スカイライナーのターミナル「京成上野駅」になっている。50年前には考えられなかったインバウンドで増え続ける成田空港からの訪日観光客。それに対応したターミナルのリニューアルが2019年の竣工に向けて始められている。

現在の不忍池南側から弁天堂方面を望む(撮影/井上和典・AERAdot.編集部)
現在の不忍池南側から弁天堂方面を望む(撮影/井上和典・AERAdot.編集部)

 撮影地の背後にある「上野の森美術館」では、来年2月までオランダの寡作画家「ヨハネス・フェルメール展」が開催され、参観客の大行列が上野の風物詩となっている。フェルメールの現存作品はわずか35点といわれ、残されたデッサンは皆無である。彼がデッサンの代用に「カメラオブスクラ」を使っていたという説がある。カメラオブスクラは「カメラの原型」で、レンズを通った光が暗箱の半透明のスクリーンに結像する仕組み。遠近感が誇張されたワイドレンズのような構図や、アウトフォーカスのようなハイライトのタッチなど、デッサンにカメラオブスクラを使用した痕跡を推察するのも一興で、写真家の観点からも非常に興味深い。

■撮影:1969年4月12日

◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など多数。

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