「新潮45」が休刊した。「LGBTは生産性がない」とする杉田水脈議員の寄稿も、これを擁護する後日の特集も目を疑うようなものだったから、これはいたしかたない措置だろう。表現の自由を奪うという意見もあったけれども、差別表現を野放しにしたらどうなるかは歴史が証明している。
松田行正『HATE!』はまさにそんな世界の差別表現の歴史を追い、その実例を集めたタイムリーな本。「デザインの歴史探偵」を自任するデザイナーの著書だけに図版も豊富。ブラック、イエロー、ユダヤという人種差別に加え、付録として優生思想を扱っているのだが、これを見てると<人類は差別も糧にして生きている>のではないかとたしかに思うね。
肌の色で人種を分類したのは18世紀の博物学者、あのリンネだった。<白人は「頭がよく創意に富んでいる」、黒人は「いい加減で怠け者」、黄色人は「欲深で高慢ちき」、赤色人は「怒りっぽい」>。赤色人とはインディアンなどのこと。肌の色が濃くなるほど下劣になると規定した学者もいて、<自分たち白人以外はすべて野蛮人>と思っているアメリカでは、黒人はサルに、ナチス時代のユダヤ人はヘビや害虫に、東洋人、特に日本兵はサルやゴキブリやシラミに、ベトナム戦争時の北ベトナム兵は害虫にたとえられ、それが「サーチ・アンド・デストロイ作戦(動くものはすべて殺せ)」につながった。差別は言葉の暴力を生み、すぐ虐殺まで行くのである。
でも、日本だって人のことはいえないからな。「新潮45」もそうだし、嫌韓反中の表現もね。島国の日本では外に出ていかない限り人種差別と無縁だったため<「差別」にたいして割合鈍感である>と著者はいう。朝鮮人・中国人差別や部落差別がなくならないのも<鈍感だからだ>。同感だ!
ネット上に溢れる差別的な表現は昔と変わらない。<相手を貶めるための言辞はどうしても貧困になりやすい>のだ。副題は「真実の敵は憎悪である。」。せめて<「話せばわかる」は、いつの時代も有効だ>という言葉を信じよう。
※週刊朝日 2018年10月19日号