この日が来るのは覚悟していた。餌がのどを通らない。水で濡らした手のひらを口元に近づけ、なめさせた。温かくザラザラしたコロ(写真、雄)の舌の感触が指先に今も残っている。

 息子が小学生の時、保護犬の譲渡会へ。「どの犬がいい」と尋ねると、息子が指さしたのは、隅の柱につながれた、既に大きくなった薄茶色のミックス犬。それがコロだった。生後間もないぬいぐるみのような子犬や純血種もいたのに、息子は見向きもしなかった。
 散歩では、すれ違う仲間の犬には興味を示さず、連れている人間のほうへ近寄っていく。人懐っこいと褒められ、気をよくしてお坊さんの持つ払子のようなふさふさの尻尾を振っていた。

 15歳になった昨秋から散歩の距離も短くなり、寝ている時間が長くなった。白内障で、投げてやる餌もキャッチできなくなっていた。

 トイレも粗相する。小屋の周りにペットシートを貼り、紙おむつもしていた。妻は庭先でコロにおむつをさせながら言った。「これ、あなたが寝たきりになった時の練習ね」。「そうそう、十分練習しといてくれ」。負けずに私は応じた。

 コロは毎晩「キューン、キューン」と物寂しげに鳴いて、私を起こした。小屋から出たはいいが、5センチほどの高さの小屋の入り口に前足をかけたまま、後ろ足で登れない。

 おむつで包まれた下半身を持ち上げ、お気に入りの姿勢に寝かせる。これを真夜中、何度も繰り返す。こちらは後期高齢者。睡眠を奪われ、「いい加減にしてくれ」。心で叫んだ。

 あれから3カ月。明け方ガラス戸を開け、「おはよう、コロ」。いつもの挨拶が、口の中で言葉にならず消える。きちんと座り、じっとこちらを見つめるコロの気配が、小屋のあった場所にまだ残っている。

(江川 稔さん 神奈川県/75歳/鍼灸師)

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