津村記久子さんの『ディス・イズ・ザ・デイ』は、お互いに響き合う十一の物語からなる。国内プロサッカー二部リーグ・全二十二チームの年間で最終節の試合がある「その日」を描いている。贅沢な読み応えがあり、津村さんの作品で言えば、各話は川端康成文学賞を受賞した「給水塔と亀」ぐらいの高い密度を保ちながら、全体を通して大きな一つの「うねり」のようなものを届けてくれる小説だ。

 順位争いや選手の活躍もちゃんと語られるが、主役は、通常のスポーツもので軸になる機会の少ない「観客たち」だ。彼らこそが、いわば満身創痍の英雄として謳(うた)われる。

 交際していた男性を失った女性と、過去に解散したチームの幻影を追うように観戦を続ける、ある時期から時間が止まってしまった男性。母親を喪い、傷ついた中でもサッカーに生気を戻してもらったが、ある選手の移籍を機に仲違いしてしまった兄弟。日常での摩擦を抱えた市井の人たちは、観戦に行くことで誰かと出会い、何かを見つけることになる。二十何人かもの観客たちを見つめる群像劇だ。

 観戦において、勝敗は大事な要素である。しかし、本作では試合の結果は至高の目的としてよりも、良くも悪くも受け容れざるを得ない神秘のようなものとして扱われる。

 観客たちのサッカー観は多様だ。学校に行かない娘を心配し、不倫している夫への憤りを抱え、憂さ晴らしとして観戦に行く女性もいる。逆に、息子も娘もなかなか頼りがいがあるがゆえに、不安なところのある選手に入れ込み、「有り余る心配の捌け口」とする女性もいる。「自分たちが犬だとしたら、クラブは飼い主のようなものかもしれない」と、にやっとしてしまう言い方で語られもする、選びようもなく好きになったチームとの間の、気持ちの折り合いのつけ方や、楽しみの見つけ方なんかも記されている。

 いろんな地域の様々な人が試合に行く。例えば、六十五歳で会社を退職し、出身地の広島へ久しぶりに戻った男性が、港湾都市である呉のスタジアムに向かう途中の風景などは非常に美しい。そうして歩いたり、電車に乗ったり、場合によっては、ふと思い立ち、飛行機や夜行バスを駆使したりして出かける描写も、旅の過程のようで魅力的だ。

 チームのエンブレムは、メジャーほど無難になりがちだが、舞台が二部リーグというのもあり、ここでの架空の各チームのエンブレムは、地域性を割とどぎつく出す。青森なら「りんごの中から片足を上げて出てくる髭の男のエンブレム」というように。図案の説明を読むだけでもにこにこさせられるのも、津村さんの小説らしくて私は好きだ。

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