彼は、現場主義だ。つねにビジネスの最前線に立つ。現場を離れ、机上で理論や理屈をこねまわしても、何の問題解決にもならないことを知っている。現場に足を運び、息吹を感じれば、問題解決の糸口が見つかるというのが、彼の考え方だ。
「じゃあ、一番きついところにいかせてあげよう」といわれて、世界有数の電気街の東京・秋葉原、通称アキバが最初の勤務地に決まった。2年間、大手量販店の営業、戦略新商品の立ち上げを担当した。かきいれ時の週末は店頭に立った。体力には自信があった。熱量も半端ではなかった。
彼は現場で、「お客の目線でものを見ることの大切さ」を学んだ。プロダクトアウトではなく、マーケットインだ。彼のビジネスの原体験である。
その後、本社勤務を経て、入社以来、念願だった米国行きの切符を手にした。
ところが、予想外の展開が待っていた。ある日、「大賀さんが呼んでいる。いってこい」と、人事部長に告げられた。社長の大賀典雄が、20代の平社員に直々に声をかけることは、普通あり得ない。
「君は、『東』にいくんだ」
社長室で彼は、いきなり、そういわれた。米国行きの研修中だった彼はてっきり米国東海岸だと思った。大賀は続けた。
「『東』はいま熱いんだ。歴史が大きく変わろうとしている」
「アメリカの『東』で暑い」気候の場所ということは、フロリダ方面か? しかし、どうも話が噛み合わない。
「アメリカの東海岸ですよね」と彼が念を押すと、「何をいってるんだ、お前は」と一喝された。「東」は「東」でも東欧だといわれた。
■若くてバカなやつを
1989年、ベルリンの壁が崩れ、その後ソ連が崩壊した。東欧ビジネスのチャンス到来とばかり、社長直轄プロジェクトが立ち上がった。「東欧に誰か送れ」という業務命令が人事部に飛んだ。大賀は、「若くて体力があって、バカなやつ」という条件をつけた。
誤解のないように「バカなやつ」の説明をしておかなければいけない。東欧では、共産主義が崩壊し、秩序がひっくりかえったわけで、常識は通用しない。堅物ではダメだ。頭でっかちでまじめなやつも無理だ。求められるのは、キモの据わった、鈍感力のあるやつだ。若さと体力も必要だ。「ちょうどいいのがいます」と、人事部長は知的体育会系の彼を推薦したのだ。彼は、東欧行きを断った。
「やっぱり、お前はバカなやつだなあ」
と、大賀はいった。