人生の終わりにどんな本を読むか――。バース・セラピストの志村季世恵さんが「最後の読書」に選ぶのは?
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20代の頃、藤原新也さんの写真を見た。犬が人間の遺体を食べている。そこに「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」という言葉が添えられていた。雷に打たれるほどの衝撃。当時、私の父は不本意な死であったと思っていたが、そんな気持ちは吹き飛ばされた。後に藤原さんの『メメント・モリ』を手にし、以降どういうわけか末期がんを患う人から、最期はあなたに側にいてほしいという依頼が届くようになる。それも自由の一つなのかもとボランティアで引き受けるようになり、最期に寄り添ってきた。
樹木希林さんもその中のお一人だ。樹木さんは、常々死は幼い頃から知っていた方がいいと話していたが私も同感だ。命は永遠ではない。でも死ぬということは無になるのではない。新たな命の芽吹きに繋がり、バトンのように渡る。命を尊ぶ樹木さんは子どもの自死を防ぎたいと願っていた。その想いを娘の内田也哉子さんは引き継ぎ『9月1日 母からのバトン』という著書を出した。これは多くの人に読んでいただきたい。
さて、私が死ぬ時はどうしよう。何しろ様々な死を見ているから妄想が膨らむ。認知症になったらすでに危うい算数の能力は即崩壊だ。だが漢字は忘れたくない。その時は『うんこ漢字ドリル』を選ぶ。もしも徘徊中に遭難して死ぬとする。私には息子と二人でラップランドでオーロラを見ていた際、観光バスに置いて行かれた苦い経験がある。美しいオーロラが私たちを迎えにきたようで怖い。息子はスマホを使い道を探す。一方私の脳裏には『マッチ売りの少女』が浮かんでいた。星野道夫さんの『悠久の時を旅する』をあげたいところだが、そんなにかっこよくなかった。ということで徘徊中の遭難であれば『マッチ売りの少女』だ。でも穏やかに死ねる環境であるなら、新刊の『エールは消えない いのちをめぐる5つの物語』の続きを書こうと思う。数名の母たちのリアルな物語を綴ったのだが、最期が近づいたら今度は私からのエールを届けようと思う。今まで書いた本は読者を泣かせたようだから、自身の物語は抱腹絶倒がいい。
※週刊朝日 2023年5月5-12日合併号