彼とディランは、軽く抱き合ったが、その後は、ほとんど関わり合わなかった。ハモンドは落ち着きはらっていた。彼はディランを理解していた。

 ハモンドは満面の笑みを浮かべて、プロデューサー・デスクの後ろに座った。
 
 スタジオのミュージシャンは場慣れしていたものの、ディランと仕事をするというまたとないチャンスに明らかに高揚し、テンションの高さが感じ取れた。

 私は大急ぎで、準備万端を整えた。そして、すべての装置を手早くチェックし、フィルにゴーサインを出した。彼は数分で、全員のサウンドを捉えた。私たちはロックしようとしていた。
 
 私は恐る恐るディランに近づき、いつでもセッションが始められると伝えた。彼は頷くと、アコースティック・ギターを肩から掛け、ハーモニカ・ホルダーを首に掛けて、私にスタジオへ誘導させた。

 私は彼のすぐそばに立ち、マイクを近づけた。それは、彼が60年代初期に使っていた貴重なノイマンのマイクだった。私はマイクの位置を微調整した。

 ディランは、私の後方のどこか遠くを見遣った。そしておそらく、“Thanks”と呟いた。私は、コントロール・ルームに引き下がった。

 ディランが曲名を告げた。

「《イフ・ユー・シー・ハー・セイ・ハロー》をやろう」

 彼は2度、その曲を通しで練習した。バンドのメンバーは、コード・チェンジと演奏するべきものを理解しはじめたばかりだった。ディランは3度目のリハーサルで、オープニングのコードを弾いてみせた。

 だがその後、彼はまったく違う曲、《ユー・アー・ア・ビッグ・ガール・ナウ》の歌詞とメロディーを弾き語り、ミュージシャンをうろたえさせた。その曲のキーは同じだったが、コード・チェンジや構成がかけ離れていた。

 ミュージシャンは、不意を打たれて躓いた。彼らが演奏していた前曲のコードがディランのサウンドとぶつかり合い、不協和音が響いた。

 バンドのメンバーはすぐさま、新しいハーモニーを理解しようとした。だが、キーボード奏者はすぐに把握できなかった。ディランは手を振り、彼に演奏から外れるよう指示した。

 ミュージシャンは動揺した。彼らは先を争って新しい曲を覚えた。そして、かろうじてショックから立ち直り、1、2度リハーサルを行った。

 だがその後、ディランは再び、何も言わずに途中で曲を変えた。次の曲は、《シンプル・ツイスト・オブ・フェイト》だった。

Never Say No To A Rock Star: In The Studio With Dylan, Sinatra, Jagger,
And More…
By Glenn Berger

訳:中山啓子

[次回5/29(月)更新予定]