90年には、憧れの菅原文太さんと阪本監督の作品「鉄拳」で共演。91年の日本アカデミー賞新人俳優賞に選ばれた。
「文太さんとご一緒できるなんて本当に夢みたいでした。ロケ地は高知県大正町(現、四万十町)で、7月中旬から2週間ほどの予定だったんですが、台風が5回も来ちゃったから延びに延びて1カ月くらい泊まり込み。毎晩、宴会でしたよ」
付き人がうらやむほど菅原文太さんと親しくなり、クランクアップ後、所有していた愛車コレクションの中から「アメ車」のシボレー・ブレイザーをプレゼントされた。
「すごくうれしかったんですが、日本車に比べ、ふた回りほど大きいから駐車場代が高い高い。当時、住んでた世田谷区内のアパートは家賃6万円なのに駐車場代が5万円かかった。ボクシングの稼ぎが少ない新人俳優の俺にとっちゃ、毎月の支払いが大変でした(笑)」
ボクシング界から引退したのは92年。その後は、映画「トカレフ」「修羅がゆく」、Vシネマでは「ボディガード牙」「牙直人闘龍伝」の各シリーズに主演するなど、こわもての個性派俳優として引っ張りだこに。一方で飲食店経営にも進出。広尾でラウンジを経営したのもその一つだった。
だが、「てんぐになって周りが見えなくなっていた」(大和さん)。2度の結婚、離婚。そして3度目の結婚から7年後の2008年には、飲食店で酔っ払い、店主を殴るなどして傷害容疑で、13年には覚醒剤取締法違反容疑で逮捕され、家族以外、全てを失った。
「自暴自棄になったこともありました。いくら後悔しても後戻りできないもどかしさ。心底、反省したね」
薬物事犯の怖さは常習性、依存性にある。芸能人や元芸能人で何度も逮捕されているニュースはよく見る。
しかし、大和さんは更生した。彼らとの違いはどこにあるのか?
「家族の支え、でしょうね。それと俺の場合は子どもの存在です。シャブでパクられた時は、今は社会人の長男と高2の長女がまだ小さくてさ。『2人が学校でいじめられたり、将来、不利益を被るんじゃないか?』って思ったら、居ても立ってもいられなくて……」