Album 『WHEELS OF FIRE』
2010年、五十代半ばを迎えたCharは、TRADROCKというプロジェクトに取り組み、膨大な量の音源と映像を発表している。タイトルそのものからも伝わることだと思うが、それは、彼が十代のころに出会い、さまざまな形で影響を与えられたアーティスト(エリック・クラプトン、ジミ・ヘンドリックス、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ、ヴェンチャーズ、ビートルズ)に敬意を払いながら、彼らが残した名曲たちを新たな視点で解釈するというコンセプトの試み。結果的にその後の活動にもつながることとなった、意義深いプロジェクトだった。
何度か収録に立ち会うことができたのだが、その『エリック』編でも取り上げられている《クロスローズ》に関してCharは「15歳のころには、もう、ほぼ完璧に弾けていた」と語っていた。もちろん、簡単なことではなかったはずだ。指先のテクニックだけでなく、呼吸や間合いなどを含めたすべてを、早熟な音楽少年はきっちりと受け止めることができたのだろう。そしてそのことから彼は、プロとして生きていくことを決断するにあたっての、勇気のようなものを与えられたのかもしれない。
クリームの《クロスローズ》は、まず、実質的には最終作品となった『ホイールズ・オブ・ファイア』収録の1曲として音楽ファンに届けられた。1968年夏に発表されたこのアルバムは、ディスク1がスタジオ録音、ディスク2がライヴという変則的な内容に仕上げられていて、《クロスローズ》は同年3月サンフランシスコ録音のテイクが後者に収められている。
だが、これは本サイト連載のクラプトン編でも書いたことだが、66年春、彼はパワーハウスというスペシャル・バンドで《クロスローズ》を録音していて、このときはリード・ヴォーカルをスディーヴ・ウィンウッドに任せてはいたものの、クリーム版のベースとなるものをここでほぼ完成させていた。また、シンプルなリフを強調し、彼自身が歌うヴァージョンはクリーム始動直後、66年11月収録のラジオ向け音源が『BBCセッションズ』に収められている。
16歳のときにその存在を知って、強烈な刺激を受け、あと戻りできなくなってしまったというロバート・ジョンソンが1936年、25歳のときに録音した《クロス・ロード・ブルース》を、彼は、約2年の歳月をかけて翻案し、自分自身のヴァージョンへと高めていったわけだ。「ロック・バンドのフォーマットに移行しやすかったから」と控えめな発言もしているが、人生の岐路のメタフアーとして十字路を描いたこの曲を、クラプトンは現在に至るまで、大切に弾き、歌いつづけてきた。2005年クリーム再結成公演でも、もちろん取り上げられている。
本稿途中でつい「シンプルな」と書いてしまったリフは、聴感上はたしかにシンプルではあるものの実際に弾いてみようとすると、きわめて奥が深い。キーはA。基本は1度と5度だけを響かせたパワーコードだが、部分的に3度の音を生かし、よく考えられたうえでのそのバランスが、なんとも表現しがたい美しさをかもし出している。また、リフの部分は1度より5度のほうが強調されて聞こえるパートがあり、その感じは、クラプトン以降の多くのギタリストたちに影響を与えることとなった。B.B.キングやアルバート・キングへの直接的なトリビュートとも呼べるソロの素晴らしさは、あらためて指摘するまでもないだろう。
クラプトンが二十代前半に完成させた《クロスローズ》をCharは十代半ばできっちり受け止め、そしてその後、自らのギター・スタイルを確立し、彼自身の音楽を創造しつづけてきた。だが、いうまでもなく、誰もがそうであったわけだはない。クラプトンがジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカーとつくり上げた《クロスローズ》は《レイラ》やヘンドリックスの《オール・アロング・ザ・ウォッチタワー》と同じように、圧倒的に高い壁であり、見上げただけであとずさりしてしまった人がほとんどであったはず。もちろん、僕もその一人でした。[次回4/19(水)更新予定]