
善悪は分けられない
下山:読売新聞グループ本社社長の山口寿一という人物も、取材する前は、ものすごく怖かったんです。それはそれまでの報道があまりにも怜悧(れいり)な悪役に描かれていて。で、2019年の正月、まだ文藝春秋を辞める前、妻の実家の仙台から帰る新幹線の中でですね、「あー、俺、絶対に読売に訴えられるよな」と暗い気持ちで弁当食べてました。
塩田:ああ。
下山:だけど取材を続けていくうちに山口さんという人物も多面体ということがわかってくる。だから山口寿一っていう人の、また違う側面も読者に提示できたんじゃないかなというふうに思っています。
塩田:あの本で、僕は山口さんを非常に魅力的な人間に感じましたし、例え彼にとって不利な事が書かれてあったとしてもですね、一方的に人格攻撃をしてやろうという意図がないので、その人をきちんと描くと善悪、両方書くことに結局なるんだと思いました。
だから本当に、今の「炎上」っていうのは表面的な善悪を、ヒヨコのオスメスをぱぱっと分けるような感じですけれども、そういうことじゃなくて、善であれ悪であれ完全には分けられない、グレーの濃淡をどう表現するかという事こそもの書きのすべきことだと思っていて。
下山:それこそが、新刊『踊りつかれて』(文藝春秋)のテーマですね。「机の上を汚くしたのが昔の週刊誌で、街全体を散らかしたのがSNSを主体とするネットメディア」という表現がこの小説に出てきます。今、新聞・テレビというオールドメディアから外れた部分で世の中が動いているっていうことを活写した小説で、その起爆剤になるのが週刊誌。不倫密会を報じると、週刊誌が意図しなくてもSNSによって増幅されていくことを描いて、それを週刊文春で連載したというのが凄い。
塩田:やっぱり週刊文春って、面白がるところがある。