
人生の一番の転機は、初の個展「スーパー劣等生」だった。そして相次いで、もう一度芸能活動に復帰する「きっかけ」となる出来事が起こる。そのとき、彼女に何が起こっていたのか(全2回の2回目)。
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60センチ四方の箱の中に
――会場を探し始めた。元はキャバレーなどがあった大阪のビルの中の、「味園Galaxy Gallery」に惹かれ、「展示させてほしい」とアタックした。半年ほど、何度も足を運んだ。
私のゴリ押しだったと思います(笑)。でも、そのタイミングで世に出ないと、自分が先に進めないと思ったんですね。自分の人生のための、生きるための活動。だから、必死だったんです。
――2013年10月、初の個展を開く。タイトルは「スーパー劣等生」だ。
個展の期間の68時間、会場に設置した60センチ四方の箱の中にずっと在廊していました。そこで私の影だけを映す。約1年間ひきこもっていた自分を表現する意図もありました。
聞き耳を立てた透明人間みたいに、来場者の足音や話し声を聞いていました。よくも悪くもすべてが聞こえることが楽しくて、多くの人に見ていただけたことで、ひきこもっていた時間も肯定されたような感覚になりました。
最終日、ギャラリーの照明を落として、私が入っている箱の中を光で照らして、影だけを映しながら、影を映していた半透明のアクリル板に絵を描いたんです。描き終わったら、お客さまが拍手してくれて……。拍手と同時に、これまで抱えていた焦燥感や不安も手離せた感覚がありました。これまでの人生で一番満ち足りた瞬間でした。
自分に対して言いたかったこと
――個展は多くの気づきをもたらした。
自分の底の部分を出したのに、誰に攻撃されるわけでもなく、ポジティブな意見も多かったんです。「自滅行為」のつもりで開いたのに、いい意味で何も起こらなかったし、変わらなかった。「本当の自分を隠す必要はないんじゃないか」と初めて思えて、だったら「もっと自分を出していろいろなことをやりたい」と思えるようになりました。
「スーパー劣等生」というタイトルもよかったと思っています。「頑張らなければ自分には価値がない」「ダメな人間だと思われたくない」という気持ちが、自分への攻撃になっていた。自分で「劣等生」とラベリングすることで、「できません!」と自分に対して言いたかった。言えたことで、すごく楽になりました。
――もうひとつ、活動を再開するうえで、大きな転機もあった。グループ活動中に出演したドラマ「ATARU」が大ヒットし、スペシャル版や劇場版が制作されたときのことだ。