初の個展「スーパー劣等生」で光宗さんが入った箱(本人提供)
初の個展「スーパー劣等生」で光宗さんが入った箱(本人提供)

「オンエアを見てください」

 スペシャルに声をかけてくださったのですが、体調的に断らざるを得ない状況で、「私は何をやっているんだろう」とずっと罪悪感がありました。その後、劇場版にもお声がけいただいて断るつもりだったんですが、スタッフの方から「スペシャル版のオンエアを見てください」と言われて、久しぶりにテレビをつけたんです。

 私の役は警視庁の鑑識課の職員だったんですが、私の写真を使ったポスターに、田中哲司さん演じる上司が「はやく帰ってこい!」と呼びかけるシーンがあったんです。

 本当にうれしくて、涙が出て……今でもその話をすると、泣いちゃうんですけど……。

 その恩を受けて、この話を受けないと、自分は終わってしまう。「どうしても出たい」と思いました。当時、体重が70キロ近くあったんですが、放送の後に早朝と深夜に走るようになりました。自分の中でストレスなく世に出られるような姿になるまで、頑張りましたね。

箱の中のシルエットは光宗さん。初の個展「スーパー劣等生」で(本人提供)
箱の中のシルエットは光宗さん。初の個展「スーパー劣等生」で(本人提供)

体調が悪くても絵は描ける

――「劇場版 ATARU THE FIRST LOVE & THE LAST KILL」に出演し、芸能活動を再開した。初の個展開催と、ほぼ同時期だった。活動再開後も体調には波があり、時折、休養を挟んでいる。

 公表している2017年の活動休止以外の期間も、何カ月か休むことが何度かありました。20代半ばまでは芸能活動を休んでいる期間のほうが長いと思います。10代のころと違うのが、絵があるということ。摂食障害の症状が悪化すると、絵はすごく描けるんです。

 体調が悪くても絵は描ける。体調が良ければ仕事ができる。だんだん、自分でバランスをとって、切り替えができるようになってきました。

うまく付き合っていくには

――摂食障害との付き合い方も変わった。

 10代のころは「治さなければ」という焦りがありました。でも、徐々にこれも自分の性質から出るもののひとつ――0か100かみたいな性格の私がプレッシャーを感じたり、見られる仕事をしたり、いろいろな要素が重なって出てきたもの。治す治さないではなく、うまく付き合っていくにはどうすればいいかだ、と考えるようになってから、症状が出ても心のダメージにつながらなくなりました。

――摂食障害を題材に絵を描いたこともある。

 自分自身を家だとした際、ある日突然、怒りや悲しみといったネガティブな感情を司る怪物が家の中をぐちゃぐちゃにし始める。最初は力づくで追い出す作業をしていたけれど、そうするとより一層暴れるから、仕方なく居場所を与えるようになっていく。実はその怪物は私が生まれたときからずっとその家にいた。摂食障害との付き合いは、私にとってそういうものではないかと思っています。

光宗さんが摂食障害をイメージして描いた怪物「ガズラー」(本人提供)
光宗さんが摂食障害をイメージして描いた怪物「ガズラー」(本人提供)
「がずちゃんは不安がりで、追いつめられると怪物になる」と光宗さん(本人提供)
「がずちゃんは不安がりで、追いつめられると怪物になる」と光宗さん(本人提供)
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