
たまたま良い物件が見つかった。店名は青山の監督作品「路地へ」(01)からとった。店内には青山の写真が、様子を見守るようにひっそりと置かれている。
学習院女子中等科で演劇部 「いつか表舞台に立つ人」
とよたは東京・市ケ谷の裕福な家に生まれ、姉と兄がいる。学習院初等科に入るが、高学年のころに両親が離別。母は、父が所有していた都内のバーの経営に乗り出し、学費を工面してくれた。
「ただ夕方から出勤していく母の姿を見るのは寂しくて。学習院にもお友達は多かったのですが、お金がない苦労なんてみんな知らないお家の子たちばかり。『私の気持ちなんて分からないだろうな』なんて疎外感もありました」
女子中等科に進み、演劇部に入る。すでに背は170センチを超え、誰もが振り返る美少女になっていた。文化祭の舞台では英劇作家ノエル・カワードの喜劇「陽気な幽霊」で主演も務めた。実は筆者は同級生、同じ演劇部員で共演した。部活の帰りは毎日、最寄り駅まで一緒に帰った。とよたは、セーラー服のスカートのすそを当時のお洒落感覚で短めにしており、隣に並ぶのが恥ずかしいくらいのオーラがすでにあった。「いつか表舞台に立つ人」だと信じていた。

「テレビの向こう側の世界に憧れて、CMに出てみたいと。モデルになりたい、俳優になりたいと考えるようになりました」
生徒の芸能活動が原則、禁止だった学習院を辞め文化学院へ転校する。
「ただ学習院で私はきれいな日本語を話す力を身につけさせてもらった。今も大事な財産です」
程なくモデルとしてデビュー、並行して俳優として民放のトレンディードラマやNHK朝の連続テレビ小説、2時間のミステリードラマ、映画、舞台を始め数多くの作品に出演した。一貫していたのは「経済的に早く自立して、苦労した母を助けてあげたい」という思い。早くも20歳のときに伊豆の家を購入、母にプレゼントした。
1999年にはTBS系の朝の情報番組「エクスプレス」のメイン司会に就任する。視聴者層を働く若い女性に定め、同年代のとよたが抜擢された。だが、深夜に起き、スタジオ入りする毎日は予想以上に大変だった。
「だんだん『演技したい』という思いがふつふつと湧き上がってきて。1年で降板させてもらいました」
(文中敬称略)(文・藤澤志穂子)
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