
胸を張って出歩くことができる
取材を通じてわかったのは、国防婦人会は普通の女性たちが参加する組織だったことです。出征兵士を見送り、戦地の兵士に慰問袋を送り、空き瓶を回収して活動資金を集めるなど活動は日常に根ざした誰もが参加できるものでした。
当時の主婦は、家では夫や夫の両親に逆らえず、社会的な自由も限られていました。そうした中で胸を張って出歩くことができる国防婦人会の活動は、彼女たちの生きがいとなり、お国のために役立っているという喜びにもなっていたのです。
元幹部の女性たちは、誰も戦争に加担していたという「罪悪感」は抱いていなかったように感じました。一生懸命頑張ったけれど、残念ながら負けたという悔しさのような感情だったと思います。
息子の居場所を憲兵に知らせた母親
他にも、徴兵を逃れて逃亡した息子の居場所を憲兵に知らせた母親の話。「豆兵士」づくりに勤しんだ元女性教師にも話を聞きました。
そのような女性たちを、戦争の「加害者」と断罪することはできません。戦時中は誰もが、「お国のために」という一つの価値観しか持てませんでした。新聞やラジオなどのメディアは大本営発表しか伝えず、女性たちは限られた情報と、社会の空気の中で必死に生きていたのです。
私たちは、その歴史に学ぶことが大切です。
いま私たちは、様々な情報に触れられ、言論の自由や政治に参加する権利もあります。特定の情報に流されず多様な意見を聞き、自分で考える力を養っていかなければいけません。防衛費増大や日本学術会議の法人化など政府の動きにも目を凝らし、その政策は戦争を遠ざけるのか、それとも近づけるものか見極める。戦争体験の継承も大切です。二度と同じ過ちを繰り返さない社会を築いていく。それが、いまを生きる私たちに課せられた未来への責任ではないでしょうか。
(AERA編集部・野村昌二)
※AERA 2025年8月11日-8月18日合併号
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