
原爆が広島と長崎に投下されてから80年。被爆2世のバレリーナ・森下洋子さんが語る「平和」とは。AERA 2025年8月11日-8月18日合併号より。
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1945年8月6日、8時15分。広島に原爆投下。その3年後の48年12月、私は広島で生を受けました。
私は被爆2世です。祖母は原爆で左半身に大やけどを負いました。母も後遺症のためか体が弱かったのですが、天の計らいが父母の願いを聞き届けてくれたのか私の誕生となり、家族は大喜びだったそうです。被爆にも音をあげず、一歩も引かない不屈の心で私をこの世に迎えてくれた母でした。
私も、原爆の影響かどうかはわかりませんが、体が弱かったんです。心配した両親は私が3歳になったとき、「健康な体をつくってほしい」との一心で近くのバレエ教室に通わせることにしました。私はバレエが一直線に好きになり、無我夢中の夢心地になったことを覚えています。
もし私の身体の奥に放射能の残りが宿り、私の身体をか弱くしつらえようとしていたのなら、3歳で始めたバレエが、その困難をはねのけていく力になったと思います。
私は不器用で、バレエでも周りの子ができる課題がなかなかできないこともありました。でも不思議と、さじを投げたり悔やんだりすることなく、他人に後れをとってもまったく平気でした。私は、そこに祖母の影響を感じています。
ポジティブな人生観
「やればできる」。そんなフィロソフィーを幼い私の体の隅々の細胞まで強く認識させてくれたのは、原爆の真下で巨大な爆弾を受け止め、半身に大やけどを負いながらも常に明るく喜びをもって前に行く、という祖母のポジティブな人生観でした。他の指が動かなくても親指一本使えれば洗濯ができる、そう明るく笑った。そんな祖母の立ち居振る舞いや考え方が、私に「やればできる」という信念をプレゼントしたのではないか。そう信じるようになっています。