
劇場版『キングダム』の第5弾が2026年夏に公開されることが発表され、続報への期待が高まっている。同シリーズは山﨑賢人さんの演じる主人公・信だけでなく、脇を固めるキャラクターたちも魅力的だ。長澤まさみさん演じる山界の王・楊端和も、山の民を率いる統率力やカリスマ性で人気を誇る。
作品においては女性として描かれているが、史実における楊端和は、どう活躍したのか。映画『キングダム』の中国史監修を務めた学習院大学名誉教授・鶴間和幸さんは楊端和について、「王翦・羌瘣との巧みな連携があった」と指摘する。始皇帝の戦争と将軍たち ――秦の中華統一を支えた近臣集団』(朝日新書)から一部抜粋して解説する。
【『キングダム』の内容にかかわる史実に触れています。ネタバレにご注意ください】
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楊端和(ようたんわ)
『史記』では秦始皇本紀に登場する秦の武将である。始皇九(前二三八)年の記事は、「楊端和衍氏を攻む」。このときに楊端和は、単独で魏の衍氏を攻めた。
始皇十一(前二三六)年の記事は、「王翦、桓齮、楊端和鄴を攻め、九城を取る」。楊端和は王翦、桓齮(かんき)と一軍にまとまって趙の鄴城を攻撃し、周辺の九城を取った。
始皇一八(前二二九)年に趙都の邯鄲を三方から包囲した記事では、「大いに兵を興し、趙を攻め、王翦上地を将い、井陘に下り、端和河内を将い、羌瘣趙を伐ち、端和邯鄲城を圍む」。
楊端和は、王翦の下で羌瘣らと連携した動きを見せる。楊端和は占領地の河内の兵を動かし、邯鄲城を包囲した。翌年、王翦、羌瘣らは趙王遷を捕らえた。秦王嬴政(三二歳)は直後に邯鄲に入っている。
秦王嬴政と、王翦・楊端和・羌瘣の三将軍の関係は、かつての一三歳で即位した嬴政と三将軍(蒙驁・王齮・麃公)の関係とは違う。嬴政は信頼する三将軍の庇護の下、幼いときに邯鄲で迫害を受けた人々を探し出し、穴埋めにして怨念を果たした。
「王翦」「羌瘣」「楊端和」の巧みな連携
始皇十九年、王翦(おうせん)将軍の率いる秦軍は趙の都・邯鄲(かんたん)を攻撃し、趙王の遷を捕虜とした。趙の公子で嫡子の趙嘉は、一族数百人を連れて代(だい)の地に逃れ、亡命政権を立てることになった。代国は始皇二十五年まで6年間も続いたが、秦の王賁将軍が代王の趙嘉を捕らえ、趙はこのときはじめて滅ぶことになる。『史記』六国年表は「秦将王賁、王の嘉を虜とし、秦、趙を滅ぼす」と記している。
秦が趙を滅ぼした時期の地図を作成してみると、すでに秦の占領郡がいかに趙の国土を包囲していたのかがわかる(書籍に記載有り)。趙の西と南は秦の占領郡が包囲していたので、秦は趙都の邯鄲には西と南の両方向から攻めることができた。
邯鄲を攻めたのは王翦軍だけでなく、羌瘣(きょうかい)と楊端和(ようたんわ)も加わっていた。