さかい・じゅんこ/1966年、東京都生まれ。高校時代から雑誌「オリーブ」に寄稿。広告会社勤務を経て専業へ。『負け犬の遠吠え』で講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞を受賞。鉄道好きとしても知られ、『女流阿房列車』などの関連エッセイも(写真/大野洋介)
さかい・じゅんこ/1966年、東京都生まれ。高校時代から雑誌「オリーブ」に寄稿。広告会社勤務を経て専業へ。『負け犬の遠吠え』で講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞を受賞。鉄道好きとしても知られ、『女流阿房列車』などの関連エッセイも(写真/大野洋介)
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 AERAで連載中の「この人のこの本」では、いま読んでおくべき一冊を取り上げ、そこに込めた思いや舞台裏を著者にインタビュー。

【写真】時代とともに変わってきた女性の生き方を発見できる『松本清張の女たち』

 1992年8月に死去した松本清張。だが、没後30年以上を経ても読まれ続けている。その人気の秘密は、女性を描いた作品群にあるのではないかと考えた著者が、さまざまな角度から、清張が時代とともに変わってきた女性の生き方をどう描いていったかにスポットを当てる。埋もれていた清張作品の再発見ガイドでもあり、まったく新しい清張研究の書でもある『松本清張の女たち』。著者の酒井順子さんに同書にかける思いを聞いた。

*  *  *

「鉄道好きということもあり、『点と線』のような有名なベストセラーから松本清張好きになったんですが、私自身にも長らく、ここまでさまざまな女性を描く作家だというイメージはありませんでした」

 だが、旅先で偶然『神と野獣の日』という文庫本を手に取った酒井順子さん(58)。「こんなに変わったものも書いていたのか」と驚くと同時に、俄然、清張が書く女性が気になり始めた。

「『神と〜』は清張唯一のSFと言われる作品で、しかも初出が『女性自身』なんですよ。そこでかえって合点がいったというか、女性誌だからあんな大胆なものを書いたんだろうなと思いました」

 酒井さんはかねてより、男性作家が女性雑誌に執筆するとき、作風が変化するというか、言ってしまえば〈珍小説〉を書く傾向があると思っていたという。

「清張も一般誌や文芸誌といったふだんのフィールドと違う女性誌に掲載されるから舐めていたとも言えるし、ちょっと実験的なことができたという見方もできるのかなと」

 調べてみると、昭和30年から41年までの約10年間、40代半ばから50代後半の脂がのりきっていた時期に、彼は精力的に女性誌で執筆していた。特に「女性自身」と「婦人公論」はアウェイの中のホームとも言うべき場。そこから名作も多く生まれている。

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