
私は言葉を失った。40の企業から成るグループを擁し、7万1000人の従業員を抱え、年間240億ドルの売上を誇る億万長者の大物起業家が、読み書きも数学も苦手で、それを「たいして重要なことではない」と言ってのけたのだ。信じられないほどの解放感、刺激、勇気をもらった。
何とも耳に心地よい告白だった。正直で人間味にあふれていたからだけではない。自分自身を詐欺師のように感じていた後ろめたさが薄らいだからだ。
22歳の誕生日を迎えるころには、私の設立した会社は数億ドルの利益を生み出し、世界中で何百人もの従業員を雇い、ヨーロッパ、イギリス、アメリカにあるオフィスを目まぐるしく飛びまわっていた。けれども心の奥底では、自分は本当のCEOではないという気持ちが拭いきれなかった。というのも、私は数学もスペリングも、ビジネスの運営面での諸々が得意ではなかったからだ。
この10年間、自分なりに最高の製品を作ることに全力を注いできた。やりたくないこととできないこと(通常はイコール)は、もっと能力と経験と自信のある人に任せてきた。
学校は間違ったことを教えているのかもしれない
この方法でずっとうまくいっている。自分の不得意なこと、楽しめないことの専門家になるという夢はとっくにあきらめていた。だが、これは巷のビジネススクール、起業のハウツー本、成功者のブログなどのアドバイスと矛盾する。どれも皆、成功するにはさまざまなことに長けている必要があると説いているからだ。
ロンドンの自宅にスタンダップ・コメディアンのジミー・カーを招いてインタビューをしたとき、彼は知恵とユーモアを交えてこのことを裏づけた。
学校は間違ったことを教えているのかもしれない。学校では、凡庸でいろ、何でもできるようになれと教えている。ところが俺たちは、万能選手が報われない世の中で暮らしている。何でもできるのがそんなに偉いのか? 物理がDで英語がAなら、英語の授業を受ければいい……「物理でCを取れるようにしてあげよう」だって? 世の中に何が必要ないか、はっきり言おう。物理の苦手な人だ。だから、自分の生まれ持った才能が何なのか、何が得意なのかを見極めて、それに専念すべきだ。
ジミーの言葉は、私がこの10年間貫いてきた方針を端的に表していた。正直なところ、高校の出席率は31%で、その後に退学したことからもわかるように、私は楽しめないことをするのが本当に苦手だ。そして、それが何よりも強い力だと証明されたのだ。そのおかげで、自分が得意で楽しめる数少ないことに2倍、3倍のエネルギーを注げたのだから。
