『江戸時代のオタクファイル』辛酸なめ子 淡交社
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 差別や偏見の対象であった不遇の時代を乗り越えて、今や現代日本を語るうえで欠かせない存在となった「オタク」。実は、特定の事物にのめり込むオタクは現代特有のものではなく、江戸時代にも存在していた。

 今回紹介する『江戸時代のオタクファイル』(淡交社)は、さまざまな「オタクの先人たち」のディープなオタ活を紹介する1冊。案内人は、鋭い観察眼と妄想力を武器に活躍する漫画家・イラストレーター・コラムニストの辛酸なめ子氏だ。同書では、江戸時代に自らの「好き」を極めた人物25人が、著者の軽快な語り口で紹介されている。ここでは、その一部を見てみよう。

 「水戸黄門」の名で知られる水戸藩主、水戸光圀。彼は麺類が大好きで、日本でいち早くラーメンを食べたことでも有名だ。そんな彼が特に愛した麺類が、うどん。好きが高じた結果、うどん屋の主人に作り方を教わって、自らうどんを打っていたというから驚きだ。しかも、手製のうどんと冷や麦で家臣をもてなしたこともあるという。このエピソードについて、著者は以下のような感想を綴っている。

「藩主のお殿様手作りのうどん、全力で『おいしいです』と褒めちぎらないと大変なことになりそうです」(同書より)

 光圀公はさまざまなグルメを堪能し、隠居してからも大好きな麺類三昧の日々を送ったようだ。彼の麺好きは当時も有名だったらしく、各地からうどん粉や蕎麦粉などが献上されていたのだとか。著者はこれを、お取り寄せの元祖のようだと考えている。

 美食に人生をかけた光圀公は、73歳まで生きた。好きなものに触れると、オタクは元気になる。光圀公の長寿も、毎日好きなものを食べる生活を送ったからかもしれない。

 オタクとは、光圀公のように好きなものを追求してなるものだと考える人が多いはず。しかし実は、嫌いなものについて考え続けたことで、嫌いなもののオタクになってしまったという稀有なタイプも存在する。それが、臨済宗の高僧・白隠禅師だ。

 白隠は11歳の頃、ある僧が地獄について話しているのを聞いたという。煮えたぎる熱湯の中に入れられる、鬼から舌に釘を打たれるなどのバリエーション豊かな地獄の責め苦エピソードは、子どもを怖がらせるには十分過ぎた。

 すっかり地獄嫌いになった白隠は、15歳のときに出家。地獄とは無縁のパワーを得たかったのか、一心不乱に修行に励んだ。その結果、地獄についてオタクと言えるほど詳しくなってしまったのだから面白い。好きの反対は、嫌いではなく無関心。白隠は、地獄の恐ろしさにある意味"惹かれて"いたのだろう。

 のちに悟りの経験を重ねて地獄への恐怖を克服した白隠は、「十句観音経」を広めようとしていた1人の武士と出会う。その武士いわく、夢に出てきた閻魔から「十句観音経」を広めるなら白隠禅師の力を借りるよう言われたため、それを白隠に伝えにきたとのこと。

「長年地獄について考えていた地獄オタクの思いが、実際に地獄の閻魔大王に届いていた、と思うと感動的です。現代なら推しに認知された、と喜ぶところかもしれません」(同書より)

 最後に紹介するのは、200年前に日記を書いていた文化人・井関隆子。歌人や作家としても活躍した彼女は、今でいうところのコラムニストのような存在だ。彼女の日記を見ると、男色が疑われている殿様についての噂や、江戸で頻発する心中事件のこと、男女両方の生殖器を持つ「ふたなり」にまで言及されており、かなりの「ゴシップオタク」であることがうかがえる。

「隆子の日記から見えるのは、ブームに踊らされやすかったり、同調圧力に流されたり、持ち上げていた対象が何かやらかすと叩き出したり、現代と変わらない日本人のご先祖の姿。隆子がもし現代に生きていたら、同じように辛口の日記を書いていたのでしょうか」(同書より)

 隆子が生きた当時の江戸の様子がわかる日記は、面白いだけでなく歴史的資料としての価値もある。現代のオタクが投稿しているブログやSNSのつぶやきも、いつか隆子の日記のように、資料として価値のあるものになるかもしれない。

 同書には他にも、「縞模様オタク」や「まじない歌オタク」といった面白いオタクたちが登場する。「好き」の対象は、我々が共感できるようなものからそうじゃないものまで多岐にわたるが、「好き」に向き合う姿勢は現代の我々と変わらない。彼らのエピソードを読めば、きっと親近感を覚えるだろう。今何かにハマっているオタクもそうじゃない人も、同書を通して江戸時代のオタクたちの情熱に触れてみてはいかがだろうか。

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